再掲載させて頂きます・・川柳

今思い出しても即、笑ってしまう平成最後の年のサラリーマン川柳!
「もう時代が違うよ」でしょうが、イエイエまだまだ‥もあるかもですからお笑いください

・「ごはんよ」と 呼ばれていけば タマだった

・デジカメの エサはなんだと 孫に聞く

・「課長いる?」 返った答えは 「いりません!」

・スポーツジム 車で行って チャリをこぐ

・叱らずに 育てた部下に 怒鳴られる

・生産性 語る上司の 非効率

今読んでも、やっぱり笑ってしまいます、可笑しいおかしい・・
2019年平成最後のサラリーマン川柳、時代は変われどいかがでしょうか?

そんな昔のサラリーマン川柳に笑い泣きしてたら、アレっ!新聞「川柳がたり」のページにあの「キャイ~ン」の志村けんさんの写真!最高でしたよね!このポーズ!
そしたら、6年前のコロナ禍初期の掲載句 

「追悼の番組なのに爆笑し」    と載っていました
この句に選者は「やっぱり天才」と寸評つけました・・

こうしたいわば瞬間芸のような句も、ほんの少しの呼び水があれば、その時々の記憶をよびさましてくれます・・と。志村けんさん、思わず笑った笑った!最高に、底抜けに面白かったです。たくさんの笑いと幸せを、有難うございました。心からそう思い、悼みます・・

「ユーモアには日付はないが、サタイア(風刺)には日付がある」と劇作家であった飯沢匡さんがおっしゃってたそうです。時事川柳の醍醐味も弱みも実はそのあたりにありそうで、すぐに過去のものになるので「消える川柳」など言われるそうですが、日々の紙面では手花火のように鮮やかな印象を読み手に与えるようですと

又「ユーモアには毒はないが、風刺には毒がある。だからユーモアは人を怒らせない」と三島由紀夫は言ってたとか・・。裏を返せば風刺は人を怒らせる。三島によれば、風刺とは、もののウ”ェ-ルを剥がして本質を露呈させる批評の一形式で、その剥がし方が一般の批評より無作法に行われるのだそうで、時事川柳にも通じると。たった17音で「本当のところ」を穿ちますから、まあ多少の無礼不躾はつきものになってくるそうです

「政治屋をやっつけに行く投票所」
時事川柳の面目はまずもって強いもの、権力を持つ側への憚らぬ批評性にあるとも・・

今世の中は多彩です。森羅万象を包み込む「嗚呼」をどう料理するか、愚痴に流れず、冷笑に堕ちず、変幻自在な風刺マインドとユーモアを宿す句を・・と川柳がたりは締めくくっています

それにしても平成最後のサラリーマン川柳、クスッとなってしまうのがなんだか幸せです
へんなの~・・  

あらっ!まぁ お刺身買ったら・・

久しぶり美味しそうな、包丁さばきもステキな鯵のお刺身買ったら、あらっ!まぁ!小さな黄色い「プラスティックの小菊」が・・
こんなものまでプラスティックで作るんだぁ・・

確か、お刺身についてくる小さい黄色の小菊は、殺菌抗菌作用、そして生臭さを和らげる薬味として使われてきた・・と聞いてた私はビックリでした
黄色い小菊は単なる飾りではなく、彩りをよくするだけでないと聞いてたからです

冷蔵技術のなかった昔は食中毒対策として、お刺身と一緒に食べていたとも聞きました(今の生の小菊はわかりませんが・・)
なので以前は、ついてきた生の黄色い小菊の花びらを指でつまむか?お箸でちぎって、お醤油に散らしたり、お刺身に直接載せて食べたりしたとも聞きました。ほろ苦さと、さわやかな香り、ビタミンも少しあったとか・・。今は昔の話でしょうが、その意味も考えず、こんなものまでプラスティックで作ってしまう器用な日本人ですが、意味を知れば、こんなものまで(それがこの小菊、精密でなんともよく出来ているのです)何でもプラスティックが当たり前になってしまっていることに危惧を覚えました

その日の朝のニュースでは、海水温が急激に上がっていて、海中の生物にものすごい変化が起き始めているということでした・・

話は変わりますが、先日乗ったタクシー運転手さんと過剰包装の話になり「昔はさ、豆腐を買いに行くときは鍋もって行ったもんです。あの頃の豆腐は豆腐~って味がして本当に美味しかったなぁ。だからおからも美味しかったですよ!」と、それはそれは美味しそうに話され、わずかに覚えてるその味を思い出したりしました

話が飛びました
お刺身に、プラスティックの黄色い小菊はいらないかなぁ~

子ども

随分前に掲載させていただいた詩ですが、今一度ご紹介させていただきます
「あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書」から抜粋です

批判ばかりされた子どもは
非難することをおぼえる
殴られて大きくなった子どもは
力にたよることをおぼえる
笑いものにされた子どもは
ものを言わずにいることをおぼえる
皮肉にさらされた子どもは
鈍い良心のもちぬしとなる
しかし、激励をうけた子どもは
自信をおぼえる
寛容にであった子どもは
忍耐をおぼえる
賞賛をうけた子どもは
評価することをおぼえる
フェアプレーを経験した子どもは
公正をおぼえる
友情を知る子どもは
親切をおぼえる
安心を経験した子どもは
信頼をおぼえる
可愛がられ抱きしめられた子どもは
世界中の愛情を感じとることをおぼえる

「あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書」から抜粋
 ドロシー・ロー・ノルト(著) 川上邦夫(訳)新評論

いいものだけが売れるわけではない

松浦弥太郎さん、元暮らしの手帖編集長でらっしゃいますが、以前このブログで一度ご紹介させて頂きました。そこにあった「ある言葉」は私の心棒になっています

そもそも幸せというのは、独り占めするものではないのです・・と常におっしゃるから素敵です

さて今回「いいものだけが売れるわけではない」ご紹介いたします

☆世の中、残念ながら、いいものだけが売れるというわけではありません。僕はよく、人がたくさんいる場所に出かけていきます。それは本当に勉強になります。自分が作った本でもいいし、自分がかかわった仕事でもいいのですが、そういうものを携えて、たとえば渋谷のスクランブル交差点に立ちます
そこにはいろんな人がいますが、この人たちのうちいったい何人が自分のつくったものをハッと思って買ってくれるんだろうとか、どういうことをここで大声あげて叫んだら振り向いてくれるんだろう、とよく考えます
自分を中心にして半径三百メートルの人たちに喜んでもらえるものを作るのは簡単なのですが、やっぱり世界中のみんなが喜んでくれるものを作りたい―そういうことを考えると、人のたくさんいる場所に立って、自分の肌でそれを感じるしかないのだなと思います

つまり、自分のサークルを広げていかなくてはならないということなのです。サークルが広がったかどうかは、とてもわかりやすいものです。たとえば「暮らしの手帖」いう雑誌は、すでに広がっているわけですが、さらに広がっていくとそれだけ意見やお叱りが多くなるのです。今までは半径三百メートルだったからほめられっぱなしだったけれど、これだけ広い場所に行くと、それだけこなさなくてはならないことが出てきます。でもそこで、自分の信念を曲げてしまったら、さらに批判されるのです

今まで以上にもっと自分を出して行かないと、自分を見せていかないと、だめなのです。それはむつかしいことですが、とても大事なことです

批判する人は、僕が何を考えているのか、何をしたいのか、わからないから批判するのだろうと思います。でもそれを伝えようと思ったら、さらにもう一枚、僕は服を脱がなければならないのです。素顔の自分を、自分の「変」なところを見せないといけない。これはつらいことです。本当につらいことですけれど。続けるしかありません。
なぜそれができるかというと、先ほどの北海道の中学生の手紙のようなものがあるからです

その「ある中学生からの手紙」
十の嫌なことがあっても、一のいいことがあるのが人生です

僕(松浦弥太郎さん)は、先日、北海道に住む中学二年生の人から手紙をもらいました
その手紙は「暮らしの手帖」を読みました、と始まります。その人は友達関係でつまづいて、学校に行けなくなってしまったそうです。不登校になってしまったんですね。
でも、私は悪くないって思い続けていたそうです。そんなときお母さんが「ここに、なんかいいこと書いてあるわよ」と渡してくれたのが「暮らしの手帖」でした。それを読んで「私が悪かった、私が悪かったから、みんなこうなっちゃったんだ」と気づいた。それでその人は自分を直した、とありました。それで学校行けるようになった、と
友達が、「変わったね」って言ってくれた、と結んでありました

松浦弥太郎編集長と言う宛名に、そんな素敵な手紙をくれたのです
不思議なもので、実際には「もうだめだ」と思う時もあるのですが、そう思うと、必ずひとつは、自分を励ましてくれることがやってきます
でもおおむね向かい風。それは、おとなしくしているわけではないからです。今までに前例がないことをしようとすると、多くの人が否定します。だから、新しいことをやってる以上、いつも否定されます。でも、きっと、もうだめだというときには、そういう自分を励ましてくれる何かがやってくる、それでがんばろうかなと思えます

すべて自分が一生懸命やってきて、ふとたまたま訪れたきっかけをつかんで、多くの人に助けてもらいながら、自然に導かれた結果です。人生は予測のつかない化学反応なのです

以上「センス入門」松浦弥太郎 2013初版第1刷・2024・5・30初版第24刷発行

牛スジ

いつものスーパー。ゆで豚作ろうと豚の肩ロース塊を探してたら「アラッ!牛スジ!しかもワンパック300円!」安ッ!買います買います・・。下ごしらえめんどくさいなぁ~と思いながら食べたい一心で買いました。この暑いのに・・

牛スジってコラーゲンたっぷりなんだけど、下ごしらえめんどくさいんですよね。でも美味しいし、めったに売り場にでないし・・。この春も青山まで用事で出かけた折、つい寄ってしまったスーパーのお肉売り場で牛スジに遭遇。電車乗って帰るのにどうしようかな~と思うより先に手に取っていたら売り場のお兄さん出てきて、「お好きなんですか?この牛スジは上等ですよ」と。牛スジに上等も何もし~リませんと思いながら買ってきた牛スジは、手間はかかったけれど本当に美味しかったでした。その時はカレーにしました

さて、300円パックのこの日の牛スジ。パック開ければやっぱり牛スジだぁ。まずは下茹でしてこの暑い中ですが食べたい一心でひたすら茹で煮込み・・。やわらかくプルンプルンになった時点で買い置いた大根を下茹でせず牛スジのスープで煮込み、夏なので甘みを付けずに、お酒とお醤油だけで味付けしました
果たして、うすいお醤油いろの上等な煮ものになりました
明日の朝は、お肌つるん・・ですね、きっと

昔、都内に住んでいた時、近くに「呑喜」という薄給には憧れのおでん屋さんがありました。昔ながらの暖簾も素敵でしたが、薄給の身にはお高~いおでんでした
よし!と思って初めて食べに行った時、「うわ~っ!おでんって魅力的~」と選びに選んで頂戴してたら、「スジ」と頼む男性・・!
口数少ない(やもすれば愛想ない、失礼)店主が「はい!」とスジ差し出したらその男性
「これはスジじゃない!」と

見れば私たちにしてみればそれは「スジ」かまぼこのようなごつごつした練り物の輪切り?で、「スジだよね~」って思いましたが、聞けばその男性は関西の方で、関西で「スジ」と言えば牛スジを串に刺したものなんだとか・・
そんな、はるか昔のおでんの牛スジ事件、一瞬お店の空気がアレッ!になったけれど、その関西の方の説明に同席していたみんな「そうなんだぁ~」と感心したものだから、空気やわらぎ和やかに頂けたことを思い出しながら、大根と煮込んだ牛スジ頂きました
いつも思うのですが、食べ物って折々を思い出すから不思議ですね

そう言えば学生時代、先輩などに連れってて頂いたおでん屋さん。たしか銀座「やす幸」「お多幸」入りくんだ裏道でしたが学生には高級でした・・。やす幸は薄口、お多幸はお醤油色が濃かったと記憶してますが、緊張してよく覚えてません、いい時代でしたね‥💮

細石

お盆休みが終わりました・・
その直前に熊本で大地震、再びの地震に当地の方々を思い、胸締めつけられような思いで募金しかできない自分です。その上今まで経験のない大雨で千葉地方は想像絶する被害。天に祈るというより「神様お願いいたします」と天を仰いだって地球全体の問題だ‥とあるコメンテーターの発言に言葉失い、じゃどうしたら・・悶々とするばかりです

八月は過去を顧み、慰霊の日が続いて国歌を耳にする機会が多く、加えてこの夏の思いがけない災害。ニュースで国歌斉唱を聞くと、襟を正してしまいます・・

小さな石ころがたくさん集まって、やがて大きな石になる。そして、苔が生えるほど、ゆるぎのないものになる。なんと果てしない自然の営みでしょう。8月12日は「君が代」の誕生日(1893年)だそうです
~細石の 巌をとなりて 苔の生すまで~

こちらも「美人の日本語」(山下景子さん)からですが
一般に細石は単なる小石を意味しますが、石灰質角礫岩の小石の場合、溶けだした炭酸カルシウムが沈着して、やがて岩となるそうです。
私たちひとりひとりは、細石のようなちっぽけな存在。でも、その小さな思いが集まって、大きな奇跡を呼ぶこともあるということですね
たとえば、今の平和も、ひとりひとりの小さな願いが集まって、大きな願いへと広がっていったものだと思います。(この本・美人の日本語は、2005年幻冬舎から刊行されたものです)
細石の心は、普遍の思いではないでしょうか。

この本が刊行されて早21年、世界の状況を見てあらためて細石と言う言葉におもいつのります・・

『見越しのしぐさ』で一歩先を考える

イキな大人の江戸しぐさ。その考え方は近年注目を集め、公共マナー広告や一部の学校の授業、社員教育にも取り入れられるなど広がりを見せています。常に相手を思いやり尊重する心が、江戸しぐさの基本。現代にも通じる江戸町人の共生の知恵を、語り部・越川禮子さんに伺いました‥と言う古~い記事がありました
今にどうかな‥と思いましたが、ちょっとおもしろいのでご紹介いたします

いきなりですが、江戸社会においては、TPOをわきまえない人やデリカシーのない人は「野暮」と言われ、江戸っ子とは対極の位置に考えられていました。近頃は「野暮」と言う言葉自体、日常会話ではあまり使わなくなりました。かといって今の世の中、野暮天が居なくなったかと言うと、そんなことはありません
ちょっと街を歩きちょっと電車に乗れば、もう野暮なひとばかり・・

『見越しのしぐさ』の見越しとは、先を読むこと。つまり、江戸っ子のほとんどが商売を営んでいた時代は、今後の予測を正確に立てることこそ商売繁盛の道でした。そしてそれは今に至り、商店やビジネスマンだけのことではなく、政治や環境問題、ひいては日本の未来に大きく関わることとして繋がっていくのです
では、うまく先を読むにはどうしたらいいか

―物事に敏感であること。好奇心旺盛であること。情報を得るためのアンテナをたくさん立てていることも大事でしょう(この記事はスマホもない、アナログの時代の記事です・・)

人間には五感と言うものがあります。視(目)・聴(耳)・嗅(鼻)・味(舌)・触(皮膚)と言う五つの感覚。この五感を研ぎ澄ませ、フル回転して瞬間に生まれるのが六番目の感覚・第六感なのです
江戸しぐさには「ロクを養い、ロクを利かせる」と言う言葉がありますが、ロクとはまさに第六感のこと。科学では証明できない第六感(流行りの霊感ではなく「先見の明」や「鼻が利く」の意)が実は大きな意味を持っています

しかしながら、どうも野暮な人は五感を研ぎ澄ますということができないようです。どうぞ『見越しのしぐさ』で一歩先を考える、生きるセンスをさらに磨きましょう・・

著者・越川禮子
1926年東京生まれ・青山学院女子専門学校家政科卒・1985年潮賞ノンフィクション部門優秀受賞。江戸しぐさ語り部の会主宰、これに関する著書多数

と言う記事でした。そう言えば「野暮なこと言うなぁ~」なんて私も聞いたことありましたが、最近はとんと聞きませんね。でもなんだか肌感覚でこの日本語わかるような気はします

ちょっと違うかもですが、雨の日に傘さして歩道を歩いてたりすると、正面から同じように傘さした人がこちらに向かって歩いてきた時、私達は傘は左に傾けて、正面から来た人と顔合わせる形ですれ違うよう教えられました。じゃないと濡れちゃいますからね・・
しかし今は前からくる人が、傘をかしげることもなく、スマホ片手にずんずんまっすぐ迫ってきて、ぶつかりそうになったかと思えば、すれ違うこちらに向けて傘をかしげるから、雨水がこちらにかぶって、びしょぬれになります!
些細なことですが、エ~ッて思うこともしばしばな今日この頃です・・
小さな思いやり、スマートな気遣い、出来たらカッコいいですね
江戸でなくとも・・

情報交換サイト・被災者が避難所で開発!

水・食料・ガソリン「この店にあります」
自らも被災した女性が生成AIを駆使し、避難所でサイトを開設なさったとのニュース!2016年の熊本地震で経験したことを思い返して「住民が情報交換し易いサイトを作ればすぐに役立つはずだ!」と。当時小さなお子さん抱え車中泊しながら、食料やオムツを探し求めたご苦労を思い出され、そのご苦労を痛感され、サイト開設を後押しなさったそうです

掲示板サイト「イマココナビ」には、熊本県内のスーパーなどの営業状況や品ぞろえを知らせる投稿が相次ぎ。仮説トイレの設置場所や井戸水組める飲食店情報もあり、投稿は8月5日時点で4千件を超えたそうです。困難な中でも皆さんで助け合い、人のつながりってすごいなぁ~
評判はSNSや口コミであっという間に広まり、8月5日午前9時までに延べ15万人がアクセスしたと

開発した加悦さん「みんなで情報を共有しあって、ここから助け合いが広がればうれしいですね」と話されているとのこと、ご経験が生きて皆さんのお役に立って涙出るほどすばらしい

すごいな~!
みんな勇気づけられますね!
私達も応援し続けなければ・・、頑張られてください

忘れ水 (美人の日本語 山下景子さん)

(いつぞやもご紹介した山下景子さんの美人の日本語・8月5日より)

きっとどこかに・・

野中や木陰を流れる、誰にも気づかれないような水の流れを忘れ水といいます。
川やせせらぎと呼べるほどでもない、ささやかな流れ。草陰に見え隠れして、途切れ途切れに流れているので、和歌の世界では今にも途切れそうな恋のたとえによく使われています。

野山を歩いていて忘れ水に出会うと、清涼剤のようなほっとしたさわやかさを覚えますね。

悲しい事件ばかりの新聞の中で見つけたほっとする記事。時々出会う、名前も知らない笑顔のすてきな人。脚光を浴びるわけでもなく、存在すらも知られていないけれど、どこかで当たり前のようにひっそり流れているはずの忘れ水。そんな存在が、心のよりどころになったりするのですね。

☆熊本の地震から1週間、困難な中懸命に前を向かわれる人々の頑張るご様子に、思わず頭を垂れ、少しでも早く日常を取り戻されるのに、私たちは何をしたらよいのか・・考えます
お水も少しずつ手に入るようになられたとは言っても、満足なお食事には程遠い毎日かと思われる中、お口の中を清潔にされる手段(うがいはもちろん、お口の中のお手入れ・入れ歯のお手入れ等)が出来ることを切に願い、誤嚥性肺炎のリスクから、一人でも多くの方が遠のかれることを祈ります

玉露

猛暑も真っ盛りの七月のあるワイドショー!
流行りの涼しそうな肩を出したワンピースの女性のタレントさん、いいなぁ若いって・・とうらやましく見てたら・・
「めっちゃ暑いから、何か飲もうって話になって『たまろハイ』頼んだら、めっちゃ美味しかったぁ~」と

「エッ何?たまろハイって・・?」新しい流行り!?よく聞けば「玉露ハイ」でした

そうですよね、今、玉露なんて上等な日本茶は、わざわざ飲まないですし知らないですよね・・と思いながら思わず楽しく大笑いでした・・!

そう言えば随分前、小学校の先生が「日本茶の入れ方知らないのでは・・?」と危惧して、家にある、お茶入れるもの持ってきて・・と生徒達に言ったら、お急須を持ってきたのはごくわずかだった・・と言う記事を書きました。その時子供たち「家ではお茶は冷蔵庫に入ってるペットボトルのお茶だよ」と多くの子供が言ったそうでした。そして、見ていたら急須を持参した子どもでない子は、急須に水入れてカセットコンロに直に乗せようとしたので、「直火はダメ!割れちゃう!」と慌てて先生が止めたそうでした・・。そのくらいもう、家でお急須でお茶を入れるということが珍しいのでしょうね

思えば私など小さい頃は、お茶屋さんと言うお茶だけを売るお店が普通にあって、お店によっては店頭でほうじ茶を焙じており、いつも香しい匂いに鼻をクンクンしたものです
又農家さんの映像がニュースに出たりすると、畑に出る際には必ずと言っていいほど、ヤカンを持参されてて、そこに麦茶を入れて、作業の合間に飲んでいらっしゃる様子が伝えられました・・

家で日本茶を入れる
こんなことも変わってきてるのですね・・

思いがけず耳にした「たまろハイ」なる飲み物が、玉露で割ったハイボールと知り、読み間違いだけでなく、変わって行く日本茶に思いをはせた、猛暑の一日でした
意外と「たまろハイ」ネーミング流行るかもです・・

・この記事掲載させていただく直前、熊本で大地震が起きました
過酷な暑さの中、熊本地震被災の方々に心からお見舞いを申しあげます
時間を経てご案じ申し上げる方もまだ居られると聞きます・・。さらにこの暑さ、避難所の困難な状況を見聞きするたび心痛みます、皆さん頑張ってらして・・言葉がありません
私達、エアコンある中で寝て食べて過ごせる幸せに、感謝しなければなりません
救助・援助・支援のみなさまにも、ご苦労に感謝しながら、少しでもご不自由な状況が、一日も早く改善に向かうよう祈るばかりですが、こうして書いている今も、浄水場も被災!で水の困難が増したと伝えられました。お尻ふきもない、オムツ・ナフキン類も不足、今は男性も医療用ナフキンが必要な方もおられます・・
電気と水がない状況のご苦労計り知れないですが、不十分な食事に加え、熱帯夜での車中泊、なんとか力を結集して、被災地の方々のご不自由改善を願うばかりです
お風呂に三日も入れないのは、なおお辛いですよね。かける言葉が見つかりません・・

折々のことば 3659

きっと私たちは、生まれてきたご用があるにちがいない
                  
                 工藤直子

人生。それは、お使いの途中で誰に何を伝えるのかを忘れてしまい、その「みえないことづけ」を握りしめて途方に暮れている子供のようなものだと、詩人は言う。懐中電灯でまわりを照らし。その「ことづけ」らしきものを探す。言ってみればそんな「宿題」を、やり残しの課題ではなく、手探りの冒険だと考えると、人生も乙に見えてくる。河合隼雄らによる「学ぶ力」から

小倉アイス

暑熱順化のあとは、お口の中から涼しい~お話です
湯島の「甘味処 みつばち」が我が家のご贔屓。ここの小倉アイス、北海道産の小豆とお砂糖、塩、水だけの手作りと聞きました。小豆本来の風味が広がる素朴な味わい、なんとも~の上等さを感じます
他に何も足さない引かない‥と言うところでしょうか

暫くご無沙汰ですが、所謂、最中アイス・最中に入った小倉アイスが持ち帰り用にもありますが、お店で食べるときには、錫の器に小倉アイスが供されるのでスプーンがあたると、カン、カンと気持ちよい音がまた涼しさを感じたものです
この錫の器はかの昔、氷あずきも好きでよく友達と通いましたが、氷あずきは当時はなんと!冬も食べられて、厚いコート着ながらストーブの横で身を震わせながら食べたのを思い出します。氷あずきの錫の器は冬だと尚のこと冷たくてガタガタ震えながら頂いたものです。若気の至り・・としか思えない思い出です

氷あずきに話がそれましたが、みつばちの小倉アイスはこの辺に住まってらした甘党で知られる森鴎外も、このシンプルな小倉アイスをこよなく愛した・・と、ご長女の森茉莉さんがエッセイに書いておられました

我が家はここ、みつばちのあんみつも大好き。寒天が他所より小さくてシャキッとしてて、黒蜜のなんとも美味しいこと、添えられた紅白の求肥に黒豆がまた美味しい!こうして書いているだけで、唾ごっくん!です
久しぶりに食べに行きたいなぁ~、まだ錫の器で小倉アイス頂戴できるでしょうか・・?

若隆景が関脇に!

この5月にパタカラ体操の応用編として、優勝した小結「若隆景」を「わかたかかげ」と発語することをご案内しました。たまには思い出して実践くださってますか?
何度、発語しても「か」が多いから、なかなかに言いにくいですよね!

この度優勝なさって!小結から関脇に上がられたんですよね!
関脇への返り咲き、頑張っていただきたいです

優勝なさりオープンカーでパレードした時、優勝旗かざしてくださったのはお兄さんの「若元春関」でした
ぜひ兄にと若隆景からのリクエストだったそうです、うるわしき兄弟愛ですね
それなら・・と、調子に乗って滑舌体操でも「若隆景若元春」(わかたかかげわかもとはる)にしてみたら、なかなかに難しく、効果ましまし・・かもです

「わかたかかげわかもとはる」口周りもよく動き、口角あがっていいかも!です!
更なる応用編、是非に、なさってみてください!

☆このブログを上げようとしたら、なんと!若隆景が怪我をし入院手術!のニュース・・
幸い救急対応よろしく、難を逃れるものの、名古屋場所は休場とのこと
2か月の加療安静と大変なことらしいけれど、緊急時の判断と対応がすこぶる適切で、十分に復帰可能との報道に安堵しながら、こちらは「若隆景(わかたかかげ)若元春(わかもとはる))」とご兄弟の名前を連呼し滑舌体操しながら、復帰を願い応援さしあげたいと思います

若隆景関大変でしょうが、みんなが応援しています、頑張られてください!

折々のことば 3656

「迷った道も道や」  白川密成

自分で決めるというのも大事だが、「誘われるのもご縁」、ひいては「迷うのもご縁」だと、四国霊場57番札所・永福寺の住職は言う。そう考えると迷うのも楽になりますよと。巻き添えを食ったり、気づかずに人を傷つけたり。そうした不覚もいつか肥しになるのか。誰の行いもその人の内で完結はしない。
上大岡トメ+ふくもの隊「推し!はお遍路」の中での発言

お花の名前

春の、このお花が盛りの時に、載せさせていただこうと思った笑い話、少し時期ズレました
以下、新聞のおもろい話そのまま載せさせていただきます

☆家の横で花の手入れをしていたところ、ふと通りがかった人が、紫色の花を指さしながら「これ、なんて花?」と名前を聞いてきた。「紫蘭(しらん)」と答えたら、「なんや、知らんのか」と言われてしまった。
(大阪府八尾市・知ってるんですけど・59歳)

もうこれ読んで可笑しくておかしくて!「ありがちだなぁ~」って大笑いした私・・
「紫蘭」は本当に美しいピンクがかった紫色の小さな蘭で、緑の葉も美しく、あちこちのお庭や路地で見かけますね。よく増えて、毎年律儀に咲くようです

また来年も聞かれるかも?ですね・・(笑)
今日もいい一日でありますように💮

手のひらを太陽に

最近のテレビは、中高年の、特に女性の健康情報!に満ちています・・(笑)
ひと昔前でしたら「フン!」てなもんで気にもしなかったのですが、最近は「何ッ!?」と見てしまい、「な~んだこの間○○でやった焼き直しじゃない・・」と思うのもしばしば。ってことはしょっちゅう見てるということで、暇人と言われても仕方ありません・・

この日もそうでした。途中から見ましたが何人かの女性が、お散歩するときには「手のひらを上に向けて歩くといいんですって!」と。そうすると手のひらが太陽浴び、日光浴が出来て自律神経にいいとか!?
アラッやだ!随分前に他局でやってたし、そんな手のひら上にして歩いてなんかいられないわよ~とうそぶきながら即、口から出てきたのは昔口ずさんだ歌の歌詞・・・そうです!まさに「手のひらを太陽に」

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
トンボだって カエルだって
ミツバチだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている
生きているから おどるんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 愛するんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
スズメだって イナゴだって
カゲロウだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
            作詞・やなせたかし
            作曲・いずみたく

とんだお話になってしまいましたが、昔歌った歌ってよく覚えているものです、その時は深く考えたこともなかったですが、歌詞確認したら、作詞のやなせたかしさんのこの歌の誕生秘話がありました

☆「暗闇の中で懐中電灯に自分の手をかざした際、赤い血管が透けて見えた」と言うやなせ氏自身の「自分は生きている」という感動と再発見から生まれた「希望の歌」でもある・・とありました

中高年女性の健康に向けたご提案がそれましたが、これも”セレンディピティ”でしょうか?
なんだかとてもあったかな気持ちになりましたから、自律神経にきっとグッドですね・・

いい意味で裏切られた!餃子 

皆様よくご存じ横浜崎陽軒のシュウマイ弁当、ずいぶん昔からあっておなじみ、なんとも美味しいですよね
私は中に入ってる、コロコロのタケノコの甘辛い煮物が大好き!最後に一口あんず楽しみに頂きます

デパートの売り場はいつも行列だけど、ポケットシュウマイご存じですか?たった6個ですけど(最近さらに小ぶり)ちょっと食べたい時重宝です。小さな辛子とお醤油と楊枝付き。お出かけのおとも用・・

先日売り場に寄ったら、「アレッ!?なぁ~にこの緑の小さい箱!」
見れば餃子!と書いてあり!ポケットシュウマイと同じ小さい箱に、餃子が入ってる新製品?美味しそう!と
迷わず買いました。餃子3個位入ってるのかなぁ~と帰宅して楽しみに開けたら!?

「アレッ!シュウマイじゃない!餃子って緑の箱に書いてあったのに・・」
人の思い込みって、まずは形からですね。餃子と言えば種を入れたら半分に畳んでひらひら波打ってるはず
よく考えればポケットシュウマイ6個の同じ箱に、普通の半月型の餃子が入ってるはずもないのですが・・

果たして・・
食べてみたら中身は餃子の種で、シュウマイに似てるけど別の餃子の皮で、「シュウマイの形」に仕上げてある「餃子」でした(笑)、ややこしい説明ですね、
要するに見た目はシュウマイでした(笑)
だけども種は(中味は)餃子でした
そして餃子だから、ちゃんと酢醤油とラー油が、例の小さなサイズで付いてて、美味しい餃子!でした

本当の餃子?を望む方には物足りないでしょうけれど、いい意味で裏切られて、それもまたジョークで楽しく美味しく頂きました
崎陽軒さん、洒落で作って下さってありがとう・・餃子です、はなまるでした!

折々のことば 3615

「人は励まされるだけでは元気になれない。いいことをしたね」 
                       
                      堀田力

厚生労働省に在任中、郵便不正事件で逮捕され、164日勾留された後、無罪が確定した元事務次官の村木厚子さんは、復職後、東日本大震災の被災者らを見舞うと、逆に「頑張ってね」と励まされた。その経験を元検事の福祉事業家に話すと、被災した人は貴方を励ますことで元気になれたのだと思うと言われた。朝日新聞の連載記事「一語一会」(2018年9月27日夕刊)から

今この、村木厚子さんは「おどろきの刑事司法”犯罪者の作り方”」と言う本を出され、我が国の刑事裁判はかなり絶望的である、初めから起訴ありきなら何のために取り調べをするのでしょう・・とご経験を話され活動されています

イカナゴのくぎ煮

ご紹介するのが遅くなり季節が過ぎてしまいました‥とは言え、イカナゴってなぁ~に?の方もいらっしゃるかも。私たちも随分前に売り場で偶然!試食するまで知りませんでした。
つやつやに煮た、いい匂いの「イカナゴのくぎ煮」。初めて食べた時は、その甘辛具合が美味しくて即買い。いっぺんでファンになりました

イカナゴとは、列島各地の海域に生息し、他の魚の餌になって海の食物連鎖を支える意味でも重要な魚種だそうで、多くは瀬戸内での漁獲で1970年~1980年大をピークに減少。イカナゴが産卵・生息するための砂場が海砂採取により減ったこと、海域の貧栄養化でイカナゴの餌になるプランクトンが減ったこと、過去の漁獲量の与えた影響などが原因として指摘され気候変動との関係も、事態を複雑にする・・と説明があります

地元の魚の解禁に、季節の訪れを感じる、イカナゴのシンコ(稚魚)は、播磨灘から春を告げる便りだそうです。甘辛く煮た「くぎ煮」は格好のごはんのお供で、一説に茶色の見た目が古釘に見えてそう呼ばれたとか
な~んだ佃煮じゃないの!?と言われてしまえばそれまでなのですが・・

地元の方々はご自分で煮るそうですが、漁獲量が減って「庶民の味がいつしか、高級魚になってしまった」とくぎ煮への思いをつづる方もあって、随分値段も上がり手にされた時には「大事に炊いた」・・と
「それでも作るのは、自分の気持ちが収まらないからでしょうね」とくぎ煮愛!を語っておられます

瀬戸内海沿岸、特に播磨灘から大阪湾にかけての家庭で、くぎ煮が春の味として愛されるようになったのは、そう古い話ではなく、40年ほど前まで、加工食品業者が扱う以外、イカナゴの利用は養殖魚の餌が中心。食卓に上がるのは漁師の家の限られた範囲でした・・と。味はいい。けれど鮮度が落ちやすい、餌用でなく、食用として売ることはできないか?浜の女性たちがイカナゴのくぎ煮を広める動きが起きて広まったようです

そう言えば私たちが試食で口にし魅了されたくぎ煮は、「播磨屋」さんと言う名前だったでしょうか・・?ご飯のお供だけでなく、その甘辛さの具合いがほんとに美味しくて、ついついつまんでしまうのでした。すっかりくぎ煮ファンになって、春にはデパートの一角にくぎ煮を見つけると小躍りしたものです
当時偶々見た雑誌に、あの「VAN」石津謙介さんのインタビュー記事があり、お生まれは岡山だそうで「この時期何が美味しいって、イカナゴのくぎ煮。家庭によってお醤油と砂糖の塩梅は違うけど春の訪れにはこれがないとね」とおっしゃっておられ、「うんうん」アイビールックの神様もお好きなんだぁ~くぎ煮!と妙に嬉しく思ったもんです
最近は残念ながら口にできていないのですが、その甘辛さと古釘のような形に炊かれた、小さなシンコのお味はなぜかふとした時に思い出します・・旨いのなんの!って

漁獲減による価格の高騰に、人の交流が途絶えたコロナが重なり、手作りを牽引した世代が引退し次の世代が入ってこないなど。地元の小中学生へのアンケートで、イカナゴを知らないという回答が3割近くあったそうです。でも「阪神淡路大震災で受けた支援のお返しに、手づくりのくぎ煮を贈る人が多かったことで地域以外での知名度も上がった」こともあり、作る楽しみと共に今後の継承のかたちを考えているとのこと
すばらしいですね
「旬を楽しむ習慣を、失うわけにはいきません」
食文化を守ろうとする地元の方々を応援したい気持ちです
皆様もどこかで見つけたら、イカナゴのくぎ煮召し上がってみてください
美味しいのなんのって!
日本酒は何が合うでしょうか? 考えただけでもごっくん!

折々のことば 3634

  彼らは他の種類の動物の声を聞き、
  よく観察して生きているんです。
            
               鈴木俊貴

籠の中の鳥を観察するのでなく、野鳥の世界に分け入って、その多様な鳴き声には意味があり、それで複雑な文を作っているのを発見した動物言語学者。動物の言葉がわかれば夢のようだと人は言うが、シジュウカラが鳴くと他の種類の鳥たちもそれを聞きつけ動く。そんな自然から人間だけが切り離されてしまっているという。朝日新聞4月19日朝刊be「フロントランナー」から。

91歳の母さんの尊い言葉。辻仁成さん

「ひとなり。誰かにバカにされて、その怒りで誰かをバカにし返したら、それは同じレベルっちゅうこったい。憎しみや恨みは悪い気だから相手にしたら悪い気が感染する。卑屈になるな。足の引っ張り合いに関わらず、ぐずぐずせんと、はよ、先へ行かんか。だれの人生か」

辻仁成さんの、孤独をラッタッタより

あるある・・

何かの雑誌で見て、笑っちゃいました・・「アッこれ私」って!
だって・・

老いるショック大賞・傑作16選(みうらじゅんと安齋肇が選ぶ)

『スケジュール帳に10時40分とだけ書かれていて、なんの予定だったかさっぱり思い出せない。その日が近づいてきてドキドキしている』-猫背・52歳

こんなのに笑い涙して共感してる私・・ちょっと前はまさかに予想してなかったぁ~
毎日がドラマティック!って言っちゃなんだけど、その場でスケジュール帳、またはカレンダーに時間だけ書き込み、詳細は後で書けばいいや!はやめよう。その場で面倒でもきちんと記録しようと決意(あったり前田のクラッカーよね!)

ドキドキも刺激的でいいけれど、そんなこと言ってる場合じゃないわ・・
ドキドキ・・
ドキドキ・・

新種のハダカカメガイは?

ハダカカメガイ!?なんじゃそれ!って思ったあなた、大体の方が見たことあるんですよ、恥ずかしながら私も・・・(笑)

あれは何年前でしたでしょうか?1~4・5センチ弱の透明で海中で立ち泳ぎしてるような不思議な生き物が、北海道のオホーツク海沿岸などから届きテレビに出たとたん人気を博し「クリオネ」と有名になりました。本名は「ハダカカメガイ」だったんですって!

そしてこの度新たに日本海などで発見され、昨秋に新種として記載されたクリオネの和名が「二ホンハダカカメガイ」に決まったそうで日本貝類学会の和文誌に掲載されたと。何と体長は4~5ミリ。とても小さく、今まで世界最小のクリオネ「ダルマハダカカメガイ」を下回る小ささなようです

また、私たちが知ってるクリオネ(ハダカカメガイ)は細長い体つきなのに対して、このたび発見された「二ホンハダカカメガイ」は丸っこい体形で、栄養分をため込んだ「油球」(オイルドロップ)と呼ぶ油の粒がくっきりと透けて見えるそうです(進化なんでしょうか?)
エサが得られない状況下でも、この油球の栄養を消費することで、生きながらえることができるようですが、寿命など詳しい生態はまだよくわかっていないそうです。世界のクリオネは計5種で、論文を執筆した山崎友資・東洋食品研究所研究員(海洋生物学)は今般発見された二ホンハダカカメガイについて、今後ゲノム解析を進め、いつ頃ほかの種類のクリオネから種として分化したかを明らかにしたいと抱負を述べているそうです

それにしても「クリオネ」の本名が「ハダカカメガイ」で、しかも貝類とは知らなんだ~
クリオネもかなり言いにくいのに、「ダルマハダカカメガイ」「二ホンハダカカメガイ」どちらも言いにくいことこの上なし!

オーラルフレイル予防の滑舌体操に!ランキング間違いなし!
発音してみてください!

フーッ~!

ちんげんさい

「ほうれんそう」ご存じでしょうか?
おひたしにしたり、バター炒めしたりの野菜のほうれん草でなく、「報告・連絡・相談」の「ほうれんそう」
一時期職場で、部下とのやり取りでこれは必須!と言われていました・・

ところが今は「ちんげんさい」らしいのです。新聞に出ていてそれこそびっくりでした・・
ちんげんさい、葉物としてもあまり売れてませんけど・・
まずはビックリ

「ちんげんさい」は、「沈黙する」「限界まで言わない」「最後まで我慢」の頭文字とのこと・・
そうなんだぁ~
以下、社会心理学を研究する東京女子大准教授の正木郁太郎さんとのインタビュー、抜粋です

人は、自分が置かれた立場から物事を見る、「だから管理職になれば、その立場から部下を測ります。そこで自分の常識に当てはまらないと『あいつは何なんだ』と思ってしまうのです」
これは、「人間の脳の限界」からくるそうで、一人一人の個性を細かく分析するには、我々の脳はあまりにも小さい。仕方なく「若い人は~」「女性は~」というステレオタイプに当てはめて、理解しようとするのだそうです。つまり脳の省エネなのだが、残念なことにそこで思考も止まってしまう。なのでいつも時代も「最近の若者は」と言う繰り言が消えないのだろう・・と
企業と共同研究している正樹さんは「体感として、『ほうれんそう』をしない人が増えている気がする」SNSの影響やサークル文化の衰退で人間関係が狭まり、集団主義とされる日本でも、若い世代ほど「嫌われないこと」に神経を使うという

だから上司が忙しそうだと話しかけるのは申し訳ないと思うし、仕事の失敗によりチームから外されたくないとついギリギリまで抱え込んでしまう。
  ☆叱られるより、嫌われることを恐れている・・というのです

このインタビューした方は、ご自身も経験があって「忙しいオーラ」を出しているつもりはないが、後輩にはたいてい「話しかけてもいいですか」とお伺いを立てられる・・年齢と共に口角も下がっている。管理職はいつもニコニコしている人格者でなければいけないのだろうか?と思っていたと
これに、正樹さんは答えて、「今の職場はどこも忙しすぎる。でもポーズでもいいので、若い世代を理解しようとする態度を見せてください」とのご提案でした

最近の社会心理学では、管理職に必要なのは「人格」ではなく、スキルを身に着けて行動する「演技力」だとする考えが主流だそうです
上司が胸襟を開けば、部下もついていこうと思える。価値観が違っても、信念まで曲げる必要はない・・そう語る正木さんの言葉に、インタビューした方、少し肩の力が抜けた気がしたそうでした

笑い話のようですが、管理職の心得には「おひたし」と言う言葉があるそうで、「怒らない・否定しない・助ける・指示する」の頭文字だそうです。なんだかなぁ~

そう言えば・・母の介護真っただ中の私、以前、超高齢者には「否定・禁止・命令」は禁句ですよ!と教わり今でも訪問前にはお念仏のように、口ずさんでから行くようにしています
いずこの世界も胸襟開いて、思いやりを持って「何かお手伝いすることありますか?」って接するのはどうかなぁ・・などと正解の見えない中思います

そしてやはり、何をさせていただく時でも、逆にしていただいても、心こめて「ありがとう」っていうことかなぁ・・と思ったりしています

悲しくてやりきれない

ちっとも進まぬ断捨離。懐かしい本やら何やらにいちいち浸っているから、進まないのは当たり前です。ましてや少し進むと「お茶しようかなぁ~」ですから進むはずもありません・・
本や資料の類もそうですが、CDはその頃が蘇ってつい口ずさんでしまう有り様。先日はジャズのメルトーメのライブ版・オスカーピーターソン・ボサノバのブラジル66まで出てきて自分でも笑いました、ありとあらゆる、その時に好きだったものでジャンルも何もあったもんじゃないカラフルさ・・です

今も現役の由紀さおりさんが、お姉さまの安田祥子さんとデュエット始められたのはいつだったでしょうか?きれいな日本語と、澄んだのびのある声、特に作詞のサトウハチローの歌の数々は今でもそらで歌えます

このCDでは作詞はサトウハチローですが、作曲は中田喜直・芥川也寸志・冨田勲・小関祐而・古賀政男と当時の作曲家の面々ですが一曲だけ、加藤和彦のがありました、ご紹介します

・悲しくてやりきれない
         作詞サトウハチロー・作曲加藤和彦・編曲坂田晃一

胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに告げようか

白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いはないだろうか

深い森の みどりにだかれ
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる 苦しさは 
明日も続くのか

   折に触れこのCDから、ほかにもなんとも楽しいサトウハチローの歌をご紹介したいと思います

無用の用

昨年2025年・ノーベル化学賞は京都大学の北川進教授が受賞されました

MOFと言う新しい金属有機構造体の開発です。MOFの特徴は、極小の無数の穴を持つこと、その穴の中に酸素やメタン、二酸化炭素など様々な気体を分離・吸収し、貯蔵も移動も可能にしました。MOFの性能と使い勝手は今までと段違いで、活性炭とは同体積の表面積が数十倍で吸着率も多く、穴のサイズを自由自在に変えることで特定の分子を選んで吸着できるので、既に様々な分野で実用化が進んでいるそうです

北川さんがMOFの穴に注目したのは、休憩中の事だったそうで、予想図を書いていた北川さんに同行していた学生が、「穴が開いてますよ」!
MOFの骨格の間にできた隙間を「穴」と表現した時北川さんはひらめいたそうです!そうです、荘子のことば「無用の用」を思い出されたのです、ひょんなことだったんですね!

無用の用とは、「何かが役に立つとか立たないという判断は、自分の都合でしかない。それに囚われるな」との指摘です。どんなものでも、見方を変えれば有用になる可能性があります
形のあるものは不変ではありません。それに囚われると現実を見誤ることになります。柔軟な自分でいることは難しいことですが、頑なになるのもまた不自由なことなんですね

自分と相いれないとか、分かり合えないとか、知るのは無駄とかの判断はいったん横に置いて、虚心に、柔軟に、相対してみたら違う風景が現れるかもしれません
ノーベル賞とか言わずとも、「囚われないこと」を心に刻もうと、決意も新たな新しい年が始まりました
毎年、決意はいんだけどなぁ~、どこかでほざく言葉が聞こえます・・💦

common sense

今まで、この言葉は常識・良識と訳されていたように思います

昨今世の中で起こる、いろいろな事件やトピックス・・をうけて年末ある番組でこんなこと言ってました
Common sense って「経験からくる思慮分別じゃないの?」
ストンと胸の底に落ちました

今年もいろんな人に出会い、驚いたり、イラッとしたり、ニコッとしたりも楽しいもの
知らないこと教えて頂いたりしたら超感激!
いろんなやり取りが出来たら、うれしくて幸運なことだと思います
周りの人はありがたい・・

流鏑馬

この時期になると思い出す入選歌があります。スピード感とユーモアで、はなやかな流鏑馬の行事を表現していて見事!と絶賛された歌でした

・流鏑馬の一瞬の間に駆け抜けて尻尾ばかりがスマホに残る
               (宝塚市)寺本節子

私は実際、流鏑馬をこの目で見たことはなかったものの、その眼の前を走り去る馬の速さ凄いんだろうな!と歌を読んでドキドキ感高まり、馬が蹴りながら俊足で走り去る情景が、早速目に浮かんだものでした、どんなに速いんだろう~と

やはり、歌を詠まれた寺本さんも、「ニュースでは見ますが実際に見たのは初めてです。見物席が最前列だったので張り切って撮ったのですが失敗作ばかり。馬の音高く近づくや猛スピードで走り去りました」と述べておられました、行きたくなりました、午年ですものね

折々のことば  3548

「だって こどもが しあわせなときは みんなが しあわせなときだもの」
                 てるおかいつこ (暉峻淑子)

経済学者の暉峻淑子さん、埼玉大学の教授として雑誌などにエッセーを書いていたころ「子ども向けにお金について説明する絵本を作りませんか?」と児童書出版会社・福音館書店からお誘いを受けたそうです。ただ、お金は当時は大人専用の世界で起きる、経済の本質を語るもの。子ども向けの説明は難しく悩んでおられました。そんな時「サンタクロースの絵本はたくさんあるけど、成長した子どもはサンタがいない事実を知った時にどんな気持ちになるでしょう。その後の気持ちも考えて本を作らなくては」と話し、これをきっかけにいわゆる「経済」とは正反対の存在、一方的に与えるだけの存在、一方的に与えるだけが仕事のサンタの話を書くことになったそうです、(クリスマスを過ぎ新年早々なのに、いいお話なのでご紹介いたします)

ご長男が3歳のクリスマス前夜、「サンタに会う」となかなか眠ろうとしないのをなんとか寝かしつけ、枕元にそっとプレゼントの積み木を置きました。朝が来るとご長男は積み木でひとしきり遊んだ後に、ママ、暉峻さんの枕元に贈り物がないことに気付き、積み木を分けて、慰めてくれたそうです
その時暉峻さん、愛された子供は、愛することができるようになるのだと悟られたと書かれています、サンタがいるということは、愛してくれる人間がいるということ。サンタが来ない子どもでも、「子ども達を助けたい」という人間の愛が絶えない限り、「サンタはいつか自分のところにも来る」という希望をなくすことはないでしょうともおっしゃっておられます
子どもが幸せな社会はあらゆる人にとってよい社会であり、サンタもそれを願っている、そんな思いを絵本に込めたそうです

この経済学者・暉峻さんの絵本は「サンタクロースってホントにいるの?」という題名でしたが、子どもに向けた「豊かさとは何か」(岩波新書)だったと今になって感じたとインタビューなさった方は語っておられます

月をまたいでしまって、新しい年の初めにサンタですが・・「サンタはどうして歳とっても死なないの?なぜお父さんお母さんには来ないの?なぜ僕の欲しいものがわかるの?」この質問の嵐に親は、子どものほしがっているものがわかる人だけがサンタになれる、サンタは子どもを歓ばせるのが何よりの愉しみだとおっしゃってこう付け加えられたそうだと書いてありました

・みんなが しあわせなとき
年の初めに 考えてみたくなりました・・・
昨年買った小さな植木鉢の沈丁花に小さなつぼみがつきました、白い花なのにつぼみは小っちゃくて赤いのです

にもかかわらず・・

みなさま、あけましておめでとうございます

昨年もこのブログをお読み頂きまして、ありがとうございました
あっちに行ったりこっちに行ったり、支離滅裂ではありますが、時々覗いていただけましたら幸いです

何度も何度もこのブログには書かせていただき、ご紹介申しましたが、やはり年頭には、アルフォンス・デーケン先生のこの一言が私のあたまにスッと出てきます

     「にもかかわらず笑う!」

どうか笑って、みなさまによいお年となりますように
本年もよろしくお願いいたします

折々のことば 3501

いつまでも…終わってほしくないほどのものが、幸福な生なのに、終わるからこそ
幸福であるというパラドックス
                  古東哲明

面白い映画も、果てしなく続けば「退屈どころか、不気味だ」。マラソンもゴールがあるから苦役にならない。同じように、ずっと続いてほしい幸福な人生もエンドマークがあるから愉しめるのだと、哲学者は言う。眼の前の光景も「死」という終わりの方から見つめると、「とたんにやさしい光をおびて」くると。(思考の平均律)から。

    お寒さ増す折、皆様尚一層、おからだおいといください
    来る年が、よいお年でありますように

アウト老

「ゆるキャラ」「マイブーム」の言葉を作り、今度は「アウト老」という新しい概念を生み出したみうらじゅんさん。伊藤若冲や超絶技巧のブームを牽引し、自身の集大成となる「日本美術の鉱脈展」を開いた山下裕二さん。正当ならざるものに価値を見出し。世に送り出した二人の語り合いです

山下・この鉱脈展はね。こんなすごいものがあるっていう内容。呼び物も必要だから、去年見つかった伊藤若冲・円山応挙の合作屏風を展示してるけど、一番の推しは牧島如鳩の「魚籃観音像」。キリスト教と仏教がごちゃ混ぜになってる。この展覧会、みうらさんが言ってる「ボク宝」のコンセプトなんですよ。見た人が自分の目で未来の国宝をさがしてってつもりで企画しました

みうら・自分で価値があると思ってるんだったらいいけど、みんな言われたことを信じすぎてますよね

山下・僕は30代ぐらいになって国宝重文という価値づけのウソくささに気付いて赤瀬川さんと仕事をするようになったり、国が決めた価値なんかぶっ飛ばしてやるっていって岡本太郎に深い入りしたり。いいと思ったものが結果的に国宝や重要文化財だったらいいけど、やっぱり自分の目で見てということなんですよ
でも、「アウト老」になると、知っていたこともどうでもよくなったり忘れたりするようになりますよね。
アウト老は、老いに対する固定観念にとらわれない生き方です

みうら・若い頃から早くお爺さんになりたかった。還暦過ぎてようやく兆候が出始め「待ってました」とばかりに、さらに盛って「老けづくり」をはじめたんです
なんで年取ったらネガティブにならなきゃなんないの?って思いますよね。キープオンバカでいたいです。僕が高校時代に聴いていたロックは基本が反逆だったので、一見まともなものに対して反発覚えちゃうんですよ

山下・それが、無い仕事を作る姿勢に通じるんでしょ

みうら・無いから作るしかなかったんです。ゆるキャラなんてネーミングしても、さもその世界があるように自分をだましてそれで物を集めめるとか書くとか。いつもそういうやり口です

山下・軽々とジャンルを作って、世間が消費したらすっとまた次に行く

みうら・ブームってそもそも誤解じゃない?万が一ブームになると僕は飽きちゃうんです(笑)

山下・今の若い子は、ゆるキャラって言葉みうらさんが作ったことすら知らないと思います

みうら・誰が作ったって言ってる段階では、本当のブームとは呼べませんもんね。ま、こっちもはやらそうなんて気はもとよりありませんし

・お二人は「ブームの仕掛け人」「プロデューサー」などとアピールしたいとは思わないんですか?

山下・自己承認欲求でやってるわけじゃなくて、こんないいもんがあるって知ってほしいという「他己承認」
。「タコ上人」みたいでいいじゃない。日本美術界では、超絶技巧ってキーワードもすごく流行ってるけど別に「僕が作った」という気はない。でもなにかやるにはネーミングってすごい重要

みうら・世の中が大ざっぱに捉えていることって、よくよく見ると実は細分化してるんですよね。その細かいところが重要で、面白かったりするんですけど、そこのネーミングがないんですよ。でもネーミングされると途端にあるような気がしますから。まずはそれで自分を洗脳する

山下・価値の転換があるなぁ

みうら・国宝じゃなくボク宝ですから。全ては

山下・自己承認欲求と言えば、みうらさんよく自分探しじゃなくて「自分なくし」って言ってますよね

みうら・自分なくしは、すなわち「撲滅運動」。僕を出来る限り滅して、仕事を引き立たせる。ボクの部分がうざいんですよね。せっかく内容が面白くても「あいつが言ってるから見ない」なんて言われちゃ台無しじゃないですか

みなさま メリー・クリスマス!

もしもし

思わず笑ってそのあと、え~ってなった記事です、以下ご紹介します(阪本輝昭さんの記事)

「もしもしって何でしょうか」。知人の大学教員は、就職活動を控えた学生からそう聞かれた。電話のマナー本に「目上の人に”もしもし”はNG]とあったのだそうだ。
日常、友人とはLINEやSNSでメッセージをやりとりする。NTTドコモ「モバイル社会研究所」の調査(今年1月)によると、主にテキストで友人と連絡し合う人は世の中の76・5%を占める。音声通話メイン派は14・1%だ。若い世代に電話を使ったことがない人がいても不思議はない

起源には諸説ある。旧・逓信総合博物館長だった父曰く、「申す、申す」が変化したとする説を同館では紹介していたという
日本での電話開通は1890年。「関東電信電話百年史」によると、当時、男性は「オイオイ」、女性は「モシモシ」と他人に呼びかけていた。電話交換を女性が主に担うようになった1902年頃を境に電話口での呼びかけは「モシモシ」に統一されてくる。自動交換機が普及し、電話交換手がいなくなっても「もしもし」は便利な第一声として生き続けた
代わりに電話をかけてくれる人が欲しい、と学生は冗談半分にこぼしたそうだ。「人間が間に入って電話をつなぐ時代が再び来るかな」と知人の教員は苦笑した。(阪本輝昭)

この記事を読んで、え~っと仰天した私だけれど、そう言えばいつか街頭インタビューで、同じような「電話について」の話が出た時、電話は苦手だという若い男性にインタビュアーが「ではどのようにしたらいいですか?」と聞いたら、その若者「急に電話されるととても困る、その前に今から電話するとメールしてからにして欲しい。それなら心の準備できるから・・」と言ったのだった
その時ヒエ~ッと思ったが、今の若者に肉声での電話が苦手って、一人二人じゃないんだ・・とこの記事であらためて知った次第。全部じゃないとは思うけれど、今の若者に電話がそんなに苦痛とは知らなかっ
た私。イヤハヤ・・

折々の言葉  3514

大佛さまは偉い。たった一言「うまい!」というだけで、ひとをここまで発奮させるのだから

                 京都の菓子職人

京都にある和菓子店の職人の言として伝え聞いたのだが、彼は奈良の大佛の前に立ってその「大いさ」「心のひろさ」に心打たれたという。そして大佛さまに饅頭をお供えし、「うまい」と言ってもらいたい、その一念で菓子作りにあたっていたと。自分を超えたものの存在に開かれている人にはどこか穏やかさが漂う。不遜にならない。

ありがとうございます (小さな記事より・・)

「はい、ありがとうございます」
会議などの場で質問されたり、発言を求められたりした際そう前置きして話始める人が増えたと感じる
へりくだったあいさつ程度に感じていたが、「心のこもってない感謝の辞はいらない」と不快がる人もいる
「ありがとう」をいう人たちに尋ねた。オンライン会議だと表情や感情がお互いに伝わりづらいので、まずは「ありがとう」と言語化して空気を和らげるという人。考えを整理するための時間稼ぎに使うという人など様々

「ほんとは怖い”やさしさ社会”」の著書のある森真一・追手門学院大教授は「感謝というより、無意識に自分の身を守っているのでは」とみる。「SMSなどできつい言葉が飛びかうのに対し、リアルな人間関係で傷つきたくない傾向が強まっている」

25年前「ありがとう」を連発する老練な大先輩(故人)がいた
「世の中、ありがとうを言わない大人ばかり。だから、わしの好感度が増すのや」とにやり。でも、心にもない「ありがとう」はなぁと当時は思った

「人の気持ちを優しくするプロンプト(入力文)だと思って、どんどん使えばいいのでは」と森教授
かの大先輩は、時代を先取りしていたのだろうか (阪本輝昭さん)

最近の日本語は、なにやらとっても難しい・・
だけども、レストランとかお蕎麦屋さんなどでも、お水やお茶を持ってきて下さったら、食事を運んできてくださったら、「ありがとう」って何気に言っていたいなぁと・・思う今日この頃です

めぐり逢い 武満徹

ボジョレーヌーボ―解禁の日のクラシックTVは、「武満徹の世界にはまる」でした
若きし頃の「ノヴェンバー・ステップ」を思い出していたら、なんとなんと荒木一郎の「めぐり逢い」が流れてびっくり!これも武満だったとは・・
つい口ずさんでしまった歌詞を思い出して書いてみます
なんて素敵・・!(作詞・荒木一郎、作曲・武満徹、編曲・服部克久)

めぐり逢える その日までは
つらい夢も 見るでしょう
そしてわずか 影にのぞく
虹のような その日
めぐり逢える その日の空
雨に濡れた くちびる
そして青い 灯かげに見る
虹のような 二人

愛する二人に
なぜ苦しみがあるの
愛する二人は
涙に濡れる

めぐり逢える その日からは
生きる悲しみさえも
共に抱いて 共に歩き
共に歌う 虹よ・・

愛する二人に
なぜ苦しみがあるの
愛する二人は
涙に濡れてる 

人生後半にこそ読みたい秀歌(永田和宏さん)を読んで

細胞生物学者、歌人でもある著者・永田和宏さんが贈る秀歌とエッセイ

「人としての尊厳」

☆初めてのオムツをした日母が泣いた私も泣いた春の晴れた日
近藤福代 朝日歌壇2020・5・3

自分でトイレにも行くことがむずかしくなり、やむを得ずオムツをすることになった。母が惚けていてくれれば、オムツも抵抗なくされるのでしょうが、意識がしっかりしている老いがついにオムツに頼らざるを得なくなったときのショック。この一首では「母が泣いた私も泣いた」と親子がそれぞれ泣かざるを得なかったところに、人としての尊厳を奪われるように感じざるを得ない、容赦のない現実が端的に表れている

「老いのユーモア」

☆あかるすぎる秋のまひるま百円の老眼鏡をあちこちに置く
小島ゆかり「雪磨呂」

まだまだ若いと思っていた作者が老眼鏡を必要としていると聞いて愕然とすることも確か。しかし、このあっけらかんとした表現は、変にもったいぶった女性の老いを軽やかに飛び越えているさわやかさがあって、好きな歌でらっしゃると

中高年は人生の困難をのりきる収穫期。永田和宏さん、自ら後期高齢者になった経験から深く読み取る・・と帯にあり私も同感すること多々ある中、むか~し柏木先生、デーケン先生等々人生の達人の方々から教えていただいたことを思い出し、「にもかかわらず笑う」でいけたらいいなぁ・・と

先日ある集まりにボサノバの小野リサさんいらして、イパネマの娘など歌って下さって素敵でした。最後にはボサノバ風に「ケセラセラ」、つい一緒に口ずさんで友人と「だよね~」と暢気な私たち

出来るだけ楽しいこと探ししていたいと思って樹々を見れば、葉っぱがまことに美しく色づいて来ました。その足元では、丸くて白い秀明菊の花弁が風に揺れて・・
花言葉は「あせていく愛」「忍耐」「多感なとき」だそうです・・思わず笑ってしまった秋もたけなわ

折々の言葉  3500

木を植えるときは1本だけではなく3本植えなさい。日よけのためと、果物のためと、美観のために
                     アフリカのことわざ

事を起こす時には、目下の関心に囚われず、広く世界のこと、はるか先のことまで考えるようにとの謂。思考と想像の地平を拡げてゆく力がひとを大人にする。ガンビアにもこんなことわざが
「一人前の大人は、しゃがんだ姿勢で木の上の子どもより遠くを見ることができる」アフリカのことわざ研究会編「アフリカのことわざ」から

季節のにおい

都内の気温がぐっと下がった日の天声人語は、いつもながらこの季節のキンモクセイと思ったら、樟脳のにおいの話だった。若い方はご存じないかもしれない。ひとむかし前、衣替えで冬物を出してくると、しまっておいた毛のものなどには虫除け保存のためにいれた「樟脳」のにおいが染みついていたものです

加えて、路上に散らばる銀杏のにおい。今でも近所では炭挟みで拾っていく高齢者も見られます。子供たちが不思議そうに見ると「手で触っちゃダメ、かぶれるよ」と

でもでもやはりこの季節は、キンモクセイ
マンション内でも先週から芳香が漂い始め、ある日突然「ここにいるよ」と鼻をくすぐると記事にあるように、通り過ぎてから「アッここにいたのね」と思うことしばしば。小さなオレンジ色の花なのに、どこに、このにおいの秘密があるのでしょう

そう言えば大人になってから、中華料理でだったでしょうか?「桂花陳酒」という甘いお酒をロックで出された時には心底驚き、キンモクセイの花を3年漬け込んだお酒で、楊貴妃が愛飲したとのことでした。
お酒になったら華やかで美味しいけれど、私的には「ここにいるよ」って通りすがりに出会う香りや、「アラッ去年もここに居たね」と道すがら出会う、キンモクセイの方が好きだなぁと、秋の到来に勝手に思ったことでした。寒くなりました・・

灯油とペンキ

只今ニュースでの聞きっかじりです
このところの各地での熊被害!「嗅覚の好み」を知ることも肝要!と

急に寒くなったこの頃、地方によってはもう必要な「灯油」それに「ガソリン」、又「ペンキ」などのにおいが熊は大好きなんだとか!ペンキを塗った壁や柱なども・・それは大変~
東北大の専門家によるとこれらは熊の好物、スギやヒノキににおいが似てるのでは・・と懸念しています

又嫌いなにおいも1つわかっていて「唐辛子のにおい」のついた塗料のものには近寄らなかったとのこと
これら身近なものの中で、熊の嗅覚の特徴!知ることも、とても大事と伝えています
身近で思いがけない好物?知るだけでも意味ありますね、ペンキ塗った壁などどうしようもないこともあります、大変ですが・・知ってれば心づもりできるでしょうか・・
皆様ニュースご覧になったかもですが、お知らせまで

折々の言葉 3501

いつまでも‥終わってほしくないほどのものが、幸福な生なのに、
終わるからこそ幸福であるというパラドックス     古東哲明

面白い映画も、果てなく続けば「退屈どころか、不気味」だ。マラソンもゴールがあるから苦役にならない。同じように、ずっと続いてほしい幸福な人生もエンドマークがあるから愉しめるのだと、哲学者は言う。眼の前の光景も「死」という終わりのほうから見つめると、「とたんにやさしい光をおびて」くると。    “思考の平均律”から。

ドベルジンヌ

キャビア・ドベルジンヌ
正式にはこう言うのだろうか?久しぶり、というよりいきなりネットで見て懐かしくてびっくり!

若い頃勉強しないで、サボってばかりの私の関心事はお料理だった。あちこちの料理教室に首突っ込んでかなりおいしい思いをしながらそれぞれの技術に卒倒した、夜間の製菓学校にも行ったっけ・・

一番気に入ったのは、マダム・バラッツの「フランスの家庭料理」だった。今までお習いしたことを一度脇に置いて、家庭で普通に、毎日のこととしてつくるフランスの家庭料理で、びっくりするほど美味しかった!計量スプーンやカップで計ることもせず、それこそ「ええ加減」でどれもこれも普通に、普段気軽に作れるフランスの家庭の、美味しいものばかりだった

バラッツさんが帰国され、その通訳を担って下さっていた三村先生が、引き継ぎご自宅でお稽古を続けて下さりラッキーだった。その時の一つがこの「キャビア・ドベルジンヌ」別名フランスでは「貧乏人のキャビア」(今だったらこのような言い方はしないでしょうが、時代でもありそのままの言葉で書きます)って言うのよと和やかな雰囲気の中教わった、何故って、キャビアなどこれっぽっちも入ってなくて全部茄子だから。でも飛び切り美味しいキャビア・ドベルジンヌ!
焼きナスに馴染んでいる日本人にはとても合うと思うし、何よりフランスパンにのっけて食べたら美味しすぎて止まらない・・!

久しぶりネットで「ドベルジンヌ」とアップされてるのをみて、その当時ご一緒したお仲間のお顔まで思い出すことができた。もの知らない私とご一緒くださった方々は、皆さん素敵なマダムばかり。意気盛んなだけで本当に何も知らない私に、お料理以外のいろんなことを教えて下さったすばらしい先輩方々だった。あんなふうに歳を重ねたいなぁと思う方ばかり、お習いしたお料理と共に、おしゃべりがてら教えて下さった数々は宝物のように覚えている。場に合ったお作法やお行儀、その頃世に出たイッセイのプリーツプリーツの話。ブローチはその位置でなく、もっとこういう位置につけた方が尚ステキよ・・。結婚式の招待状のご返礼はがきの書き方等々、多岐にわたりたくさんたくさん教えて頂き、今本当に有難く思うことばかり、感謝してもしきれない・・本当に

食べ物って、お料理って、時空を超えてその時に戻れるから不思議。人生の折々に必ず食べ物があって、ご一緒に頂戴したこと、親しくして下さった方々がいてなんと幸せなことだろうと思う

急に寒くなり秋めいたこの頃・・あちこちの柿の実が色づき始め、つやつやの栗もお店に並んでいる
そろそろカリンや、ジャムにしたい果物登場の季節、食べ物は人と共に思い出すから不思議で有難いことです

あのおうちのピーマン

いつもの大型スーパー、入り口入ってすぐは地元農家さんの野菜コーナーです
その日は、まるで万願寺とうがらしみたいなピーマンらしき袋が「大きいけれどやわらか~い」と超目立つ札つき!その後ろに普通の、しかしながら随分丸っこいピーマンが6個も入って213円、安い!見ればその袋のタグに〇〇〇〇の名前!懐かしい、多分昔いらしてた患者さんの小っちゃかった息子さん!

確かもう20年以上前、お母さんに連れられて来て下さってたお子さんに違いない、そう思った私は迷わず濃い緑色の丸っこいピーマン買いました
果たして、帰ってすぐ袋開けたらコロコロっと出てきたピーマン。あの時お母さんの後ろに隠れるようにしていた丸顔の○○ちゃんみたい・・

早速、ナスとしぎ焼に、残りはちりめんじゃこと炒めて常備菜にしました。しっかりしたピーマンなのに、とっても柔らかくて美味しい美味しい

常備菜と言えばあの頃、皆さんに受けて頂いていた「唾液検査」の判定資料として「ダイエットクロック(3日間の摂食状況)」ご協力頂いていた際、特にご年配のかたの用紙に「常備菜」という記載が多く、若い歯科衛生士さんから「常備菜」って何ですか?とよく聞かれました。説明するとすぐ「アッ、いつも家で食べてるあれですね」と盛り上がりながら合点したりして、我が家の常備菜自慢になったりしました
歯科は特に「生活者である患者さん」のお口の中を拝見することだから、との院長の方針でしたから、患者さんと十分なコミュ二ケーションとることが大切でした。日々を伺うことにより、患者さんには多くを学ばせて頂き、虫歯のなりやすさや、口腔内のトラブルを理解頂き改善する手立てになりました
偶々美味しいピーマンに出会って患者さんご家族が作られたと気づき、感慨深く思い出しました

「大きいけど柔らかいよ」と目立つように書いてあるピーマンよそに、な~んにも書いてないけれど小さくてまん丸で色鮮やかで・・。それだけで「美味しいよ」とピンときて、ひょっとしてあの患者さんの息子さんが作ったのかも?と地味なピーマン買った私、大当たりでした

今、各業界が「こちらはこうですよ!」「これこれに自信あります!」「業界最安値だけど最高の品質」等々、ネットにテレビに言葉が踊る時代。ただ普通に野菜売り場に並んだピーマンは静かに「食べてくださればわかります」と言ってるようでした・・

そう言えばこの農家さんのお父さんは、定期メンテナンスにいらっしゃる際、いつも髪の毛も黒々と、洗い立てのシャツやトレーナー召して来院、なので受付さんが「いつも若々しくてらっしゃいますね」と申し上げたことがあって、「いやぁ予約の前にはそこの薬局で白髪染め買って染めてさ、作業の後洗濯したてのシャツに着替えてくるのよ」と。続けて「だって、先生も歯科衛生士さんも、近い距離でケアしてくれるんだから、清潔にしてこなきゃ失礼じゃない?」そうおっしゃったことでした・・
このようにお気遣い下さって、定期メンテナンスを習慣にされた患者さん、恐縮致しました。時に両手に余るほどのニンジンをお持ち下さり、「取れすぎちゃったから、ビタミンAは体にいいんですよ」と、スタッフ共々ありがたく美味しく頂戴しました

本当の本物って、意外と身近にあるんじゃないでしょうか?
来院なさる際のお気遣いとお口の健康へのご理解、頂いた甘いニンジン、たまたま出会った成長なさった息子さんのと思われる柔らかく美味しいピーマン、繋がっていることのすばらしさに感謝し、小さくて大きな幸せ感に包まれた一日でした

「求められて生きる」を目指す  「リセットの習慣」より

世の中には「求めて生きている人」と「求められて生きている人」がいます。「求めて生きている人」は、自分は「こんな仕事がしたい」「こんな役割を担いたい」「こんなポジションに上り詰めたい」「こんな風に評価されたい」などと思います。その思いがモチベーションになっていることもあるので、それ自体を否定するつもりはありません。

しかし、周囲を注意深く見渡してみると、常にコンディションよく仕事をしていたり、本当の意味での評価、結果を得ている人は「求められて生きている人たち」です
「誰よりも早く部長になるんだ!」と息巻いている人よりも、「ぜひ、あの人に部長になってもらいたい」と周囲から求められている人が本当の実力者であり、成果を上げていく人です
大事なのは「自分がどこに求められているか」を理解することです
もしかしたら、それは会社で出世することや大きなプロジェクトを任されることではなく。町内会の活動をすることかもしれません。あるいは、よき父親や母親として、子どもたちを育てることかもしれません。
私も長く大学病院にいますから「求めて生きている人」と「求められて生きている人」をいろいろ見てきました。常にコンディションを崩し、もっとも苦しい生き方をしているのは求められていないフィールドで、必死に求めて生きている人です

一方で、常に安定し、最高のコンディションで楽しそうに生きているのは「自分が求められているフィールド」で生きている人です

何も、活躍の場は職場のような「お金を稼ぐフィールド」だけではありません。むしろ、そんなバイアスを持たずに、フラットに「本当の意味で自分が求められている場はどこか」を見つめ、そこで自分の力を発揮しようと思えた人が、もっとも幸せな生き方をしているのだと私は感じます
                 「リセットの習慣」 小林弘幸

ふんころがし (お食事中の方ごめんなさい)

たまたまつけたテレビ、どうして私こういうのに当たっちゃうんだろう!です
番組の題名「へんてこ生物アカデミー」

なんでも、日本にも「ふんころがし」はいるそうですが、ふんを転がさないので「ふん虫」と呼ぶそうです・・ふんを転がさないふん虫は多数の種類いるそうです。へ~っ!
よくテレビ、図鑑などで見るふんころがしは、その名の通りヨイショヨイショってまあるいふんを虫が転がしてるけど・・。それにふん虫はえらく美しいのだとか!
 
雨季に成虫になって出てくるそうな、ふんころがしさま
「なぜ、ふんをころがすのか?」
100メートル先のふんを感じると→我先にふんを丸めて持ち去りたくなり(早く運んで独り占めするため)→その時を見て運ぶ方向を決める。月出てない日は天の川見て決める・なんと!→土の中に埋めてゆっくり食すんだそうです
このルールのように丸めて動かすことから、「太陽を動かす神」としてみられ、再生の神、古代エジプトのケプリ神の化身と称されていて、ファラオの装飾品にはモチーフになってる「ふんころがし」。名前にびっくりだけど、すごいんだぁ~

また日本の奈良公園、この公園に鹿が1300頭もいるそうです(エ~ッ!)、そうすると大体ふんの量は1トンにもなるそうですが、ふん虫(ふんころがし)のおかげでいつも奈良公園はきれいなんだとか。鹿のふんが落ちてくると「ふん虫」がキャッチ分解してそれは土にかえり、肥料となって公園の美しい植物・緑を支えてくれてる「スーパーヒーロー」なんだと。ふん虫がんばってるね!
「神の化身」として崇められていた位だから偉いんですね
 だからなんだと言われれば、それまでですが・・
以上「へんてこ生物アカデミー」でした

おまけ・この番組にはもっと変わった研究者も出られて(いい歳してこのような番組見る自分の方がよっぽど変かも・・)本当のクモを捕まえて糸を取りなんと「ネイチャー」に発表! 10000本束ねバイオリンの絃にし、バイオリンを習って演奏まで出来るようになり、そのクモの糸束ねて吊るしたハンモックに乗って登場!の、とんでもおじさま・奈良県立医大コラーゲン研究科の先生もお出になりました、そののめりこみ様に、そこまで夢中になれることにもびっくりしてすごいなぁ~でした。ぶっ飛んでらっしゃいましたね。すごいすごい

「生きながらえる術」(2019年折々の言葉から)

☆生きるということは「面」をもつことだ

 繋がるとか、結ばれるとか、「糸」で束ねられた人の姿を浮かばせる言葉はたくさんあって、まるで裁縫箱のようである。「絆」も大切な牛馬を逃さないための「引き綱」が元の意味であったとか。そう言えば厄介な縺れも糸偏である
横に繋がったわたしたちは表面の上を巡り、転びそうな時は他者に支えられ、支えることもできる土俵を持つことが肝心であると著者は言う

 「折々の言葉」鷲田清一さんが紡いできた様々な言葉の中から、日本文学研究者のロバートキャンベルさんが、琴線に触れた「ことば」三つをえらんだ一つ

縺れなどという言葉さえ忘れていた私
「土俵を持つことが肝心かぁ~」とふり返れば先日テレビで見たお相撲、海外からのお相撲さんが修行を積み、技を磨いて番付を上り、それこそ本物の土俵の上で堂々と勝負し、インタビューにびっくりするほど丁寧な日本語で、今終わった自分の相撲を語っている・・

意味は違っても、土俵が大事・・
横に繋がった私たちは表面の上を巡り、転びそうな時は他者に支えられ、支えることもできる土俵を持つ
つくづく、「面」ということを考えたことでした

日々の生活 あふれる可笑しさ 朝日歌壇「番外地」

思わず笑ってしまった!朝日歌壇の選には漏れたもののユーモアにあふれた秀歌が年に一度紹介される「番外地」まずは誤読部門から。言葉に敏感な作者たちはこんな風に鮮度のいい言葉を、見つけている・・とあります。 以下選者は 川野里子さんです
 
 ☆啄木をブタギと読みて嗤われし吾も年老いてじっと手を見る  
清水基義

分かる。私も子供の頃そう読んだから。清水さんは充実した人生を送られ、あんな失敗もあったと微笑みながら自分の手を見ているに違いない。日本語は微差が大差になる言葉で、こんな誤読もある。

 
 ☆「生(い)きくらげ」こりゃまたなんとよく見れば「生(なま)きくらげ」が売られています
                    太田千鶴子
生きたままの水母(くらげ)が売られていたらさすがにぎょっとする。いつもの八百屋で起こる小さな事件だ。こうしてみると日々の生活は笑いの宝庫だ。笑わせようとするのではなく、大真面目だからこそ生まれる可笑しさがある。生活部門の作品

 
 ☆「新聞を取っていない人がいるそうね。天ぷらはどうするのかしら」と叔母  上田結香

一瞬何のことか思ったが、叔母にとっては新聞ではなく新聞紙が問題なのだ。確かに油をよく吸う。叔母の生真面目な表情が可笑しい。このところの物価高も笑いになる

 
 ☆父親はよく自らの病名をキーパーソンと自慢してた  脇本俊雄

「キーパーソン」に似ているのは「パーキンソン」だろうか。自らの病気を笑いに変える人間力がすごい
                 
これら朝日歌壇「番外地」 選者・川野里子さん

何度も何度も、どの歌も思わず笑ってしまいましたが、三番目の天ぷらと新聞紙には、年齢がバレますが昔のお台所の情景が目に浮かび、思わず天ぷら油のにおいまで思い出したことでした
そういえば先日テレビに浅草の雷門が映った時、天ぷら屋さんの看板が映って、そういえばあちらの天ぷらはごま油だったっけ・・など、秀歌に笑わせていただきながら、父と一緒に食べた天ぷらのにおい、ご飯に浸みた天つゆの味まで思い出し、言葉の鮮度ってすごいなぁと感じ入りました

今年はテレビで「舟を編む」、三浦しをんのドラマにくぎ付けになりました、言葉って本当にすごい!
言葉ってとても素敵!だから言葉は大事につかいたいなぁ~と、あらためて思う猛暑の後の今日この頃

気がつけば、あちこちに水引草の赤い小さなつぶつぶが風に揺れ・・
めずらしく、遅れて彼岸花が咲いています

After you

 今年はことのほか暑く!と言うより猛暑の連続だった・・
その夏の盛りに、茶道裏千家前家元の千玄室さんが亡くなられた、102歳でらした

茶道を通して平和の大切さを訴え続けられ、その背中を押したのは、第2次世界大戦で特攻隊員となった経験だったと伺う。戦友たちは次々と出撃して帰らぬ人となったが、裏千家の跡継ぎだった千さんには特機命令が出た。生き残った者の責務として、お茶を通じて世界の平和協調を訴えた。
提唱した「一盌からピ―スフルネスを」の意味を問うと、「世界中の人々が、お先にどうぞ と勧め合う心で一緒にお茶を飲む。一歩でも半歩でも自分が下がるという気持ちを持てば、けんかにならないということです」

徹底して行動することにこだわられた。国内外で献茶会の亭主をお務めになり、100歳を超えてなお海を渡り「平和、平和と言ったって、平和になりませんよ」と上っ面だけの態度を批判なさり「はっきり言ったら、みんな平和ぼけしてますわ。私はね、一番それを危険に思うの。いつ死んでもいいけれど、死んでも死にきれない」。その言葉を残されて旅立たれた・・と評伝にあった。

「After youですよ」折に触れ言ってらした言葉、テレビなどで毅然とされた、穏やかな、そして張りのあるお声が耳に残っています・・

After you・・

 

カナカナぜみが遠くでないた
ひよこの母さん裏木戸あけて
ひよこをよんでる・・ごはんだよぉ
やっぱりおなじだおなじだな

ちらちら波に夕やけゆれた
目高の母さん小石のかげで
はよはよおかえり・・ごはんだよぉ
やっぱりおなじだおなじだな

サヤサヤ風が笹の葉なでた
こねこの母さんあちこちむいて
おいしいおととで・・ごはんだよぉ
やっぱりおなじだおなじだな

         作詞・サトウハチロー 作曲・中田善直

山村暮鳥に「ある時」という詩があると、八月のある日の新聞『うたをつないで』大岡信と言葉の力 というコラムにあった

「また蜩のなく頃となった/かな かな/かな かな/どこかに/いい国があるんだ」不惑の年齢で没する1924(大正13)年12月に校正の段階まで進んでいた詩集『雲』に収録され、詩集は翌月に出版された
虫の声に触れた詩で、この詩ほど印象深い作品はない、視覚の働きがほとんど後退し、聴覚が突出している。自然に聴こえてくる人間以外のものの声に耳を傾ける。すると、声の向こうに、ここではない別の場所がぼんやりと浮かび上がる・・と

昨今のように、また今年の猛暑のようだと、うるさいほど鳴いてたちょっと前のようには、蝉の声は聞かない。ひところはアブラゼミ、ミンミンゼミなどがまるで合唱でもするかのように、うるさい位鳴いていたのに・・
ましてやこの詩にあるカナカナゼミ(蜩)って、いつ鳴いたっけ?と思い出さないくらい忘れてしまった・・。蜩が鳴くのは早朝だったか?夕方だったか?
カナカナで一日のはじまりや終わりを知らせてもらっていたように思う

久しぶり蜩という漢字を見て、その存在すら忘れかけていたのに、小さい時歌ったサトウハチローの歌を思い出したのには、自分でもびっくりした・・
たしか題名は「夕方のおかあさん」だったと思う
中田喜直の歌、大好きだった

60代独身女性 職業欄の肩書は

60代の独身女性が職業欄を書く際に「主婦」でよいと言われた経験を新聞に投稿された方に、多くのお便りが寄せられたそうで、それを読むといろんな事が見えてきました

もとはこのような投稿です(要旨)

・とある申込用紙に商業欄があり、4月からアルバイトを始めるので「アルバイト」と記入したら、担当の若い男性が「主婦でいいんですよ」と言ったそう。結婚してないし、主婦はどうなんだろう、自分は定年退職し所謂、無職の身だと。その時、結婚してるしてないに関わらず、家の事をしているって「主婦」又は「主夫」では?と思ったと
最近の投稿を見ると「年金受給者」「元〇〇」という肩書も。自分に置き換えると「元会社員」「休職中」。もしかしたら私も「主婦」なのか?家事はしている。一人暮らしでも生活はしている。独身でも主婦。皆さんはどう思われますか? (川崎市 佐野ときえ 検討中 62歳)というものでした

これに対し兵庫県66歳の方。現役時代は何の迷いもなく職業欄に「会社員」と書いた。定年直後に「無職」と書くことに一抹の寂しさを覚えた
職業欄を「生活の糧を得るための生業」と考えると今の自分は「年金受給者」?と思う。「ただ、無職と記入する時の、どこにも帰属していない、なんとも言えない解放感も捨てがたい

携帯電話の契約カウンターで似た経験をした60代の方
自分自身は「専業主婦」の分類と思ったが「無職」にチェックしようと思ったら有無を言わさず「主婦ですね!」と言われ違和感覚えた。自分と同じ年恰好でも、定年退職したばかりの無職の男性には「主夫ですね」とは言わないだろうと思ったから
「家事は女性がやるものというという感覚が、未だ世の中にはあるのでは」
しかも家事は社会的、経済的な営みなのに、「主婦という言葉の中には”社会や経済から遠い存在”のような古いイメージがこびりついている」とも感じる。世の中の意識が変わって「主婦」の言葉が自然消滅することを、期待していると言う

60代の独身女性が職業欄を書く際に「主婦でよい」と言われた経験を投稿なさって、「皆さんはどう思われますか」と問いかけただけで、こんなにさまざまなご意見が集まったんですね。興味深く読ませて頂きました

最期に男性からの投稿もあり、71歳の岩国市の方は「家守」と称し、読み方は「かしゅ」「やもり」どちらでもいいそうです。縦のもの(家事)を横(ハウスキーピング・ハウスキーパー)にして、再度縦にしたらこうなったと・・
役所などの「正式な」書類は仕方ないので「無職」。炊事洗濯、子どもや高齢者の世話と言った、世の中で産業になっていないことを家でやっているだけ。だから「無職」は違うんだけど、と思いつつと。

いろいろな思いをもって、さまざまなやり取りとお考えを拝読しました
私も「主婦」「無職」「元何々・・」モヤモヤです。気持ちがモヤモヤなので、文も何だかなぁ~歯切れの悪いことで失礼しました
仕方がナイチンゲール(笑)