お転婆

久しぶり見た「徹子の部屋」は懐かしい方ばかりのご登場でした
何と!市川房江さん!
若い方には全く知らないわ~だと思います・・

懐かしい映像が流れ、その当時お会いするなり徹子さんったら「女っぽいのでびっくり!」って!そんなこと言ってまぁ~。ずいぶん昔とは言え、ドキドキしました

その市川房江さん、政治家ですが当時「意見言ったらね、怖い女だ!」って言われましたよ・・と告白
「出は名古屋の百姓・農家ですよ。だけども父も母も政治家になるの反対しなかった!」と、加えて「女に生まれたんだから、仕方がないよ」とだけおっしゃったそうな・・。時代でしたね
またそれを徹子さんの前で「お転婆でしたから」とさらりとおっしゃていました・・
お転婆なんて言葉も、今の若い方はご存じないでしょう・・
「婆」って漢字がついててもおばあさんのことではないんですよ(笑)

そう言えば、今年102歳で亡くなった義母が面白いこと言っておりました。都内に生まれ在住、当時にしては珍しく同じ区内にあった薬科大学女子部を出た義母に当時の話を伺った際に聞きました。薬科大の通学にせよ、卒業後近くの他大学病院の薬剤部に勤めた際にせよ、歩いていくのはなぁ~等と勝手に思った私。
「通学や、その後大学病院の薬剤部にお務めの際は、自転車でいらしたんですか?」などと聞きましたら、「あらやだ!そんなお転婆なことしませんよ」と一笑に付されたのでした・・
「そういうのをお転婆っていうんだぁ」

徹子の部屋に、市川房江さんが懐かしい画像と共に出られ、久しぶり耳にした「お転婆」の言葉に、亡き義母も仰ったっけ・・とその時代に思いをはせたことでした

その義母の口癖は「本郷もかねやすまでは江戸の内」でした
本郷三丁目の角にある、今はビルですが、母によれば徳川家康に従い江戸に移り住んだ「口中医師(今の歯科医)」兼康祐悦と言う人が店を開いていたそうで、口中薬(今の歯磨き粉)である「乳香散」を売って大繁盛したと伝えられてるそうでした。何度もなんども「本郷もかねやすまでは江戸の内」を会う人ごとに言うものだから私も覚えてしまいました。今でも本郷三丁目の交差点にはこの看板があります

市川房江さんの「お転婆」と言う言葉から、展開しすぎてしまいましたが、時代とは言え漢字の素敵さ!味わい
最高です・・