昭和57年12月より令和2年12月まで開業させて頂いた朝霞市
その町の名前には東京ゴルフ倶楽部が、大きく関係していたことは聞いておりましたが、そのことを記した記事が手元にありました。それによると・・・
東京の地価高騰で、駒沢からの移転を決めた東京ゴルフ倶楽部。1929年(昭和4年)現在の朝霞市に新天地を求めた
当時は「埼玉県北足立郡膝折村」と言う名で、川越街道の宿場町「膝折」の名は、室町時代の逸話にさかのぼる。追っ手から逃れてきた武将の馬が、ここで膝を折って息絶えたことに由来するという
そんな膝折村に、国内最高峰のゴルフ場がやって来る。同時期に村から町になることも決まっていた膝折村ではこの機に名前を変えることとなった
東京ゴルフ倶楽部は「プレジデント」(のちに名誉総裁に呼称変更)に皇族の朝香宮鳩彦(やすひこ)王を迎えていた。朝香宮家が戦後に皇籍離脱するまで暮らした自宅が、アール・デコ様式の代表建築と言われる現在の東京都庭園美術館(港区白金台)である。(文頭の5枚の写真は、つい先日、知り合いの後輩先生が白金で撮影くださったものです)
この皇族のゴルフ場が移転してくるということで「あさか町」に。漢字まで同じにするのは畏れ多いと「朝霞町」となった
東京ゴルフ倶楽部のコースには、贅の限りが尽くされていた。現存していたら世界的な名コースに挙げられるのではないかと語るゴルフ関係者も少なくない
朝香宮から「朝霞」に改称して構わないとの許しを得た、と言う内容の東京ゴルフ倶楽部からの通知が、朝霞市博物館に賞状ほどの大きさの文書として保管され朝霞市の指定文化財になっている と言う興味深い記事でした
ちなみに「膝折」と言う名は、朝霞市内に現存しています
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