「老い」はちっともこわくない 柏木哲夫2001改編版より

先日「にもかかわらず笑う」でご紹介した、柏木哲夫先生の1998年の本が、2001年文庫化に当たって加筆されたものからの抜粋です。

超高齢化社会を迎えて、「老い」に直面しなければならない社会に私たちは置かれています。「老い」に関する情報も多くなり、特に介護保険導入後、老人福祉に対する関心が高まり、様々な身体的ケア、リハビリ、入浴介護などのサービスは次第に充実してきています。

しかしながら多くの元気な老人が、「老いをどう生きていくか」について考える情報は意外と少ないと感じます。今私(柏木先生)は、学生と一緒に「老人の希望」について研究しているが、主に他者との交流・健康・趣味・奉仕・仕事・役割・経済・子供の成長など、老人を取り巻く外部的な環境に焦点が当たっていた。

しかし、老人の心の中身や内的な希望を対象にした研究はあまり多くありません。研究の方法論が難しいし、結果も主観的になり易いからでしょう。この書物では、外在的なものでなく、内在的な視点を重要視した「老い」の理解です。「老いのとらえ方」によって、「老いの生き方」が変わってきます。

「からだが不自由である」と言う現実は、ある人を限りなく不幸にします。しかし、ある人はその不自由さを「挑戦」の源にします。不自由さを幸せととらえることができる人さえいます。考え方、とらえ方、物事への態度などによって、その人の存在の意味が変わってくるのです。価値観がものの見方を変えると言えましょう。

「人生の実力」と言うことを考えています。その定義は二つの部分に分かれます。一つは「自分に不都合なことが起こった時、その不都合さの中にも、人間として生きている証を見、冷静にどうすればよいかを考え、判断し、その判断に従って行動する力」です。やや持って回った定義ですが、本当の実力は自分にとって不都合なことが起こった時に発揮されます。老いと言う不都合さの中で発揮されるのが実力なのかもしれません。老いと言う現実の中で、人間としての証を見、自分らしく生きていける人は老人として、人生の実力者と言えるでしょう。

もう一つの定義は、「どんな状況におかれても、その状況を幸せと感じることができる力」と言うことです。

人生に三つの坂があると言われています。何でもうまくいく「上り坂」、すべてがうまくいかない「下り坂」、そしてもう一つの坂は「まさか」と言う坂です。

上り坂を幸せと感じる事は簡単ですが、下り坂を幸福とはなかなか感じられません。「まさか、こんなことが自分に起こるなんて・・」と言う場合、多くはマイナスの「まさか」です。まさか、こんな事故に巻き込まれるなんて・・・。まさか年取って息子を看取るなんて・・など。「まさか」こんなに長く生きるとは思わなかった人も多いことでしょう。しかし、現実は老いを生きているのですから、その中に幸せを見るという実力を発揮してほしいと思い、その実力養成の一助に本書がなるよう願っています。

ユーモア(HUMOR)について
これは元々医学的な概念でした。語源は、血液やリンパ液などの体液を意味するラテン語のフモール(HUMOR)と言う言葉です。体液と言うのは、その流れが人の身体に活力を与え、また創造的な力を補っていると考えられていました。言い換えますと、中世の医学者はユーモアこそ生命の本質であり、体液が無かれば人間が生きられにように、ユーモアなしでは人間は生きられないと考えられていたのです。
柏木先生は、早くからこのユーモアに注目し、いくつになっても必要なユーモアと語っておられます。