この6月、医師・水俣病研究の第一人者 原田正純さんが亡くなられた。この原田さんに
ついては何度かニュースでご尊顔を拝していたものの、これほどの方とたまたま拝見した
ドキュメンタリーで知りました。また二度続けて再放送に遭遇し、どれほど患者さん方の
心の支えであったか深い感動をもって見ることになりました。
「どうせ治らん、来んでいい」駆け出しのころ、水俣病患者さんに言われた言葉が原点と
のことです。治らない病を前に、何ができるかという自問が水俣病研究の第一人者へと
成長させたとということでした。「何度も見れば、ヒントがある」と患者さん宅を回り
医学の定説を覆す胎児性水俣病を立証。現場主義を貫き、カナダの水銀やタイのヒ素など
20か国以上の被害者もご覧になったようです。感覚が鈍いのは頚椎症、視野が狭いのは
心因性・・。水俣病の特徴的な症状をバラバラに分け、被害を否定する御用学者の在り方を
「専門家の常識は世間の非常識」と批判し、カネミ油症、ベトナムの枯葉剤など、汚染が
子供に及ぼす被害の研究に力を入れられました。
2006年脳梗塞で倒れ、両目の視野を半分失うと「患者さんの気持ちがようわかる。病
気してみるもんだ」と得心したように話し、翌年の食道がん後も「生き証人の記憶ば残さ
んと」と。一昨年血液のがんになっても被害者らと教訓を語り合う対談企画にとりかかり
その教訓を語り継ぐ決意を水俣病患者の長男から聞き出すと、記者を呼び出し「日本の
教訓は人類の遺産。まとめよろしくね」と息を引き取られたとのことでした。悲報を受け
た患者さんの父君は「先生が一番の支えでした」とたたえ、40年来の友人はポツリと
「水俣病という不幸な事件に、神様が用意した人でした」と。
幸運にも2回も放送を拝見できて、傍によりそう奥様の「夫の宝くじに当たった。大好き
な夫」との言葉に照れ笑いの原田先生の穏やかな笑顔が印象的でした。
このような方がいらしたこと心から尊敬申し上げ、どれほど患者さん方の救いであったか
と勉強になることばかりでした。いつかこのドキュメンタリーの再放送ありましたら
ぜひ気に留めておいてください。