アルフォンス・デーケン先生の有名な言葉「にもかかわらず笑う」は、かつて日本医大癒しの環境研究会に、発会から参加し勉強させて頂いていた折、デーケン先生がお帰り際にっこにこ顔でおっしゃって頂きました。それからずーっと心の芯にあります。
本を片付けていたら、1984年以来精神科医として、ホスピスの場で多くの高齢者に接し、看取った患者さんは2000名を超え、ずっと老いと死を診て来たという柏木哲夫先生の文庫本「老いはちっとも怖くない」を見つけました。表紙も変色し貫禄ついた文庫本の、一番気に入ったページを紹介します。
18ページ「ユーモアで元気に」(老いを前向きに受け入れ)
ハワイを訪れたとき、友人に聞いた話です。(柏木哲夫先生)
92歳になる日系移民のおじいさん。顔中にこれまでの苦労を物語る深い皺がありますが至って元気「長生きの秘けつは」と尋ねると「息するのを忘れぬことじゃ」。
歯が一本もありませんが、ステーキを美味しそうに食べます。長年の習慣で食事の時には入れ歯をしません。そうしてると歯茎が強くなって、たいていのものは食べられるそうです。「どんな時に入れ歯を入れるのですか」と尋ねたら、「歯を磨く時じゃ」。友人はおじいさんのユーモアのセンスに感心し、これこそ長生きの秘けつだと思ったと仰ったそうです。奥さんは87歳。ご主人に劣らず元気でユーモアのセンスは抜群。川柳の会に入ってるそうで、最近の作品は、
「合わぬはず、じいさんそれは私の歯」。
老いてユーモアがある人に出会うとホッとします。老いを前向きに受け入れていないとユーモアは出てきません。老いを嘆き、辛さとやるせなさだけを見る人からは出てきません。上智大学のデーケン教授は、ユーモアを「にもかかわらず笑うこと」と定義します。
ハワイの老夫婦は、老いにもかかわらず老いを笑い飛ばして生きています。元気だからユーモアが出るのではなく、ユーモアが出るから元気なのでしょう。
「にもかかわらず」と言う状況で最も笑いにくいのは、死が近いときでしょう。にもかかわらず、笑うことができる人はいました。末期の肺がんの人で、せきがひどく苦しい時、「このせきは小錦に来てもらわないと、とれそうもありません」と言いました。関取と「せきとり」をかけたこの人独特のユーモアでした。死が近いにも関わらず、ユーモアを無理なく振りまくことができる人はすばらしいと柏木先生の本にあります。このページと入れ歯のページは、入れ歯の記述があるからでなく、ひどく印象に残って何度も読み返したものです。
デーケン先生は、自己紹介の際「私はアルフォンス・デーケンと言います。何もデーケン」とニヤッと仰って笑いを誘ったあの日を思い出します。