街はこうして輝いた・青山通り 石津謙介

六年後のオリンピックがあるからでしょうか?にわかに50年前の東京を振り返る番組が

増えてきました。

昨日のBSプレミアム ”街はこうして輝いた”青山通り 石津謙介 ダントツのステキさ

でした。静かに流れるボサノバに乗ってVAN村が始まりました。石津さんの金ボタンの

ブレザー・ボタンダウンのシャツ。メーカーに受け入れられず苦労したこと。それでも

学生に気に入られアイビールックとなって、みゆき族・はては不良などという言葉も生ま

れ、そんな洋服を作ったと築地警察に呼ばれたこともあったそうです。それでも徐々に

受け入れられ、カッコいいという評判もたって、東京オリンピックの日本選手のユニフォ

ームになりました。真っ白なズボンに真っ赤なブレザーです。帽子もそろって今見ても

ステキでした。当時では圧倒的な日本選手団のユニフォームだったでしょう。

99ホール・オレンジハウス(当時画期的な生活用品のお店)aeflex(イタリア家具)。

Vanguard (先駆者)と紹介していましたが、本当に石津さんは、ぬきんでた存在でし

た。私もその空気に触れることができ、「楽しくてステキ」「カッコいい」ということを

教えて頂けその中にひたれたことは、今考えれば相当贅沢な時間であったと思います。

HONDAの四角いシビックが出た当初、日本のような狭い国にいい車ができた!と絶賛し

岡山出身でお魚に一家言あって、「玉筋魚のくぎ煮はここ」と薦めたお店のくぎ煮は

我が家の定番となりました。何につけても一本スジの通ったか方ですから、味においても

流石です。93歳で亡くなる前の写真立てのお写真もアイビーでカッコいいこと。

石津さんに本物を教えて頂いた団塊の世代。 次回は六本木。これまた楽しみです。

 

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