新聞に連載された、がん研有明病院腫瘍精神科部長さんのある日のコラムです。
家族は「第2の患者」とも呼ばれ、精神的苦痛は患者本人に勝るとも劣りません。多くの家族が「何もしてあげられず無力感がある」と悩み、「なにもしてあげられなかった」と後悔を抱きます。
そんな時先生はこうおっしゃるのだそうです。
「自分を責めることはありません。患者さんのことを悩むほど真剣に想う時点で、すでに本人の力になっているのです。本人が悲しんでいるときは、一緒に悲しむことが大事です。そして、弱音を吐いてもいいのです。ご本人も家族も大変な苦しみを経るのですから、自分の感情に無理にフタをしないで下さい」
20年ほど前に、スタッフ全員で、ホスピス医の山崎章郎先生のお話を伺う機会に恵まれました。息をのむ!ような現実を沢山伺って、その帰り道、誰も口を利く余裕もなかった記憶があります。壮絶な現実のお話しでした・・。
当時よく、看護師さんの「からの巣症候群」という言葉を耳にしました。山崎先生のお話しでは、そちらの病院にはカラオケルームがあるそうですが、殆んどドクターや看護師の「泣き部屋」です・・とのことでした。咄嗟に意味の分からない私達に、当時そちらのホスピスでは45日ほどおきに、患者さんを見送るような日常だったと伺った覚えがあります。なので、医療スタッフの精神的苦痛は大きく、防音装置のその部屋は思いがけずに有効であったと・・。
今般の三月ごろからのコロナのパンデミックな様相に、医療機関の集中治療室のスタッフの疲弊が取りざたされています。20年も前の山崎先生のお話をふと!思い出し、どれほどのことであろうかと・・と何もできぬ無力な自分を、情けなく思ったりもしました。
しかしながら自分は専門職でもなく何もできない。さすれば罹患しないよう、自分の立場で、自分でできる最大の努力はしようと思うばかりでした。
有明の腫瘍精神科部長先生の記事を思い出し、家族は「第二の患者」であるなら、コロナ患者さんのことに寝食忘れて尽くす医療者の皆様も、精神的苦痛は患者本人にまさるとも劣らない。患者さんのことを悩むほど真剣に想う時点で、すでに本人の「力になっている」のです。という言葉をお届けしたいと思いました。
何もできないけれど、「想うだけで力になる」このことは大切だと心に刻み、共にある・・と言うことが大切と思いました。