何度もここに登場の我が家のベランダのクレマチス、いよいよ小さなつぼみぜ~んぶ咲きました。
大きくてシックな色。
毎朝いくつ咲いたねぇ~と楽しませて貰いました。年季の入った鉢だけにつぼみがついた時の、又咲いた時の嬉しさは人一倍でした。
楽しませてくれてありがとう。
散ったシックな花弁は、鉢の根元に戻してやりました。何の意味もないけれど、捨ててしまうより次の芽に貢献するかしら?と勝手に思って。一日するとその花弁も腐葉土のような色になっていきました・・。来年も咲いてね!
健康応援ブログ
一ヶ月も前になるが、仏文学者の海老坂武さんが滞在中のパリから発信してらした。あのパリが、コロナで寂れた田舎町のようだったが、5月には車が数珠つながりになって信号待ちしていると。そんな中死者数がその時点で、26380人の内、半数は高齢者施設の住人と・・。
こうした中、批判意識だけでなく、「連帯」と言う言葉がこの社会では未だ生きていることを知り、具体的な支援運動が立ち上げられ、毎晩8時になると窓辺やテラスから、一斉に拍手が起こり、エッセンシャル・スタッフに感謝と連帯感を示していると。フランス語では一文字入れ替えると、「孤立」は「連帯」になる(solitaire・solidaire)。これを語ったのは「ペスト」のアルベール・カミュだった・・。
今後の見通しは決して明るくなく、第二波は確実にやってくる。以前の世界に戻ってはならぬと言う訴えもある。端的に言えば、お金よりも健康、経済よりも環境、そして社会的不平等の撤廃だ。
そこで日本について考えると、せめて「文明」と言う語を頭の片隅に持ち合わせ、何よりも「自分の言葉で」「現在の危機の意味と未来の展望を語ることのできる政治指導者」を選び出すことが先ではないか・・と。
何度も読み返しながら、コロナのもたらした、深く考える機会を、無駄にしてはならないと強く!思いました。
長年ケアに通われる患者さんから「飾って頂けますか?」と見事な胡蝶蘭!見たことない大きさ!
お祝いの席で使われた後処分されると聞き頂いたら、大きすぎて・・とお持ち下さいました。
当院ではいつも何かしら蘭が咲いているので、きっとお上手だと思って!・・と。
思いがけないお申し出に恐縮しながら、何年も経つ先輩?蘭(添付のピンクの蘭たち)も嬉しそうでした。何年も経っている蘭は、本当に好き勝手な形ですが、一つ一つはきれいな蘭です!
コロナコロナで気持ちまで疲弊するなかにあって、お花が幸せ運んでくれました。
大きな鉢を、階段ですのにお持ち下さり感謝でございました。皆様にご覧いただき、お褒め頂いております。
コロナで大変ですが、きれいなお花にふと目をやる時間を皆様と共有でき、嬉しい出来事でした。
あらためて有難うございました。
いつもお洒落な衛生士さんが通勤にしてきたマスク。あまりに可愛いので写メさせて貰いました。アリス!です。
端切れ見つけて手作りとか?まさかに診療中使えませんが、こんな風に生活を彩るスタッフに支えられている、中央歯科です。
さらに、高い健康感お持ちの患者さん方に支えて頂き、私達も出来ることは精一杯致し、やれないことは無理しないでこのコロナを安全に乗り切りたいと思います。
巷にはもう終息したかのような空気もありますが、油断せずやれることは、端折らず手抜かりなくやって、身近な楽しみ見つけながら頑張りましよう。
会話や対話が控えめなこの頃ですが、マスクの下でも、お風呂やトイレの中でも「パタカラ体操」等出来ますから、無音でもお口を動かし、唾液(つば)が出てお口の中を浄化してくれるよう、なさって見てください。
マスクの下であめ玉なめてるよりずっといいですよ。
福を呼びましょう!
自粛解除になっても未々感染者もあり、亡くなるかたも報道され、心落ち着かぬ毎日です。
久しぶり相田みつをのカードが目にとまり、つくづくそうだなぁ~と。当たり前と言えば当たり前。丁寧に生きるにつきるなぁとあらためて思います。
皆さまはいかがお過ごしでしょうか?
ストレスの多い毎日ですが、六月に入り自然界は着々と進んでいます。紫陽花のつぼみは色づきましたし、樹々の新芽も色濃くなってきました。今年はあちこちでドクダミが群生しています。嫌われ者の臭いですが、夕方など白い十字の花びらは、可憐にさえ見えます。
身近なもので、いいこと探しすると、意外や意外「アラッ」ということに出会えます。雨の日でも晴れの日でも、足もと見たり、空を見たりしてみませんか?
「な~んだ」と思うようなことを再発見するのも、結構楽しいですよ。
当たり前ですが、以前に増して仕事上気を配らなければならない今日この頃。帰宅するとふ~っとため息ににた疲労感に溢れます。
するとお電話!「お疲れでしょう?久しぶり神茂のはんぺん買えたから、召し上がって元気出されて下さい」と隣人の高齢者の奥様から。
日本橋・神茂のはんぺんは亡き父の好物でもありました。早速に山葵をちょっとつけてほうばれば、メレンゲのようなふんわり感と丁寧に仕上げられた美しい形に、思わず目を瞑っていただきました。
至福と言うのはこんなささやかな時ですね。甘味のないフワッと口に溶けていく食感に「美味しいねぇ、何だろねぇ」と目をほそめて楽しんでいた父を思い出しておりました。お醤油もつけずに山葵の風味が鼻を抜け、肩の力まで抜いてくれました。
頂いたもう一枚はバター焼きして一垂れのお醤油の香りで楽しもうと思います。
気にしてくださる隣人の奥さまの心遣いが身にしみました。こんな時はよけいベロにも心にも染み渡ります。生身のおつきあいの有難さ、代えがたいものですね。
発表されたサラリーマン川柳 どれも秀逸ですが、私的に三つ・・・・
「タバコ辞め それでも妻に 煙たがれ」
「ギガバイト 時給いくらか 孫に聞き」
「早よ帰れ! 言ってる上司が 帰らない」
情景が目に浮かぶようですね。
ある病院のパンフレットに、地味ですが有益な情報が出ていました。
暑くなって、ペットボトルのお茶を愛用する季節になりましたから、ちょっとお耳を貸して下さい。
ペットボトルのお茶には、酸化防止剤としてビタミンC(アスコルビン酸)を含む製品が多く、このアスコルビン酸は、多くの飲食物に含まれ、食品添加物やサプリメントとしても広く用いられています。
ところが、ビタミンCを多く含むお茶飲んだ後、尿試験紙法による尿糖と尿潜血検査が、偽陰性(本来は陽性だが陰性と結果が出る)になってしまうことが知られているそうです。
ビタミンCは、尿中に排出され、摂取後4~6時間で尿中濃度が最高値に達します。このようなことから、尿検査の前は、ビタミンCを多く含む飲食物やサプリメント、特にペットボトルのお茶を摂取しすぎないように気をつけて下さいとのことでした。
採尿により判断されることも多いので、これは親切なご指摘と思いましたのでお知らせしました。(ある大学の臨床検査部からでした)
知り合いが入院先で(今年初めころの話です)笑いながらクイズくれました。「どっちがコーヒーだと思う?」と。
どちらも殆ど同じ色。各々いいにおい?していいはずなのに、大して匂い変わりないらしい。
さて正解は?
向かって左は麦茶。右は紅茶。コーヒーはありませんでした。
人間は「食べたい!飲みたい!」って視覚やいいにおい から始まるのにね!と残念がっていました。
病床にある方にとって、食べることが、又食べられることが、どんなに大切なことか!
そのお食事!
先ず大事にすることは何だろう?と考えさせられました。
見た目!におい!食感!のど越し、湯気さえも、ご馳走だと思います。
贅沢でしょうか?
今般のコロナウイルスでは、「嗅覚・味覚に異常?が生じている」と感染者の訴えが注目されています。未だ検証はされていないようですが、発熱もない感染者からの情報ですから、重要です。
しかるに、味がわかる・においを感じる事がどれほど幸せな事かと、痛感いたします。日常の何気ない幸せって、大切ですよね。
それと五感を研ぎ澄ませておくこと、それが第六感を育てることにつながったらいいですね。
器用で前向きなスタッフが、新聞で紹介された記事を見て、ガウン代わりを早速手作りしてくれました。頭に入ってるのか?スイスイと手早い。
折角ならガサガサしないビニール袋をと、買いに走りました。
代用のレインコートも使いましたが、夏日には如何せん暑い!脱水したら大変です。院長はサイズが大きいのでまだ試作中です。スムースに動けなければダメですからね。
HPでご案内の様に、当院では使用する基本セット及び器具は、ヨーロッパ基準クラスBの滅菌で、お一人お一人洗浄・消毒・滅菌したパック済みの物をご用意し、目の前で開封。使用器具も一回一回同様に洗浄・消毒・滅菌して対応しておりました。
今回更に、今まで以上に感染予防に注力し、待合室の雑誌・本・おもちゃも片付けさせていただきました。3密を心がけ、ご家族連れでのご来院も控えて頂いております。ご理解ご協力感謝申します。
こんな心砕く気忙しい中、早速に動いてくれるスタッフに感謝するばかりです。お電話やいらしてお励まし下さる患者さん皆様にも感謝しつつ、努力出来ることは端折らず、今出来ないことは無理せず、安全に進めたいと考えております。
今更ですが、お口の中の汚れが、あらゆる病気に悪さすることは明らかです。皆様も油断なさらず、なお一層ご留意なさって、お元気にお過ごしください。季節の変わり目、体調崩されませんようにお祈りいたします。
新聞記事からで恐縮ですが、こんな考察が載っていました。(伊藤亜紗の利他学事始めより)
私達は、自分の行為の結果を自分でコントロールすることはできない。これが利他の難しいところであり、面白いところだ。
可哀想だから、認知症のお父さんのために割り箸を割って持たせてあげた。しかしお父さんは怒り始めた。自分でやろうとしてたのに、邪魔されたと思ったのだ。同じようなことが、発展途上国の経済支援でもしばしば起こる。人道的支援のつもりで投入された資金が、かえって地域の経済を骨抜きにし、貧困を加速してしまうのだ。
人の世の因果はあべこべである。
良かれと思って相手の為にする利他は、自分の定義する善を相手に押し付けるだけの、一方的な利己に終わることも多い。
知多の「他」とは、まずはこの結果のわからなさ、制御できなさなのだと心得るべきだろう。
むしろ利他にとって重要なのは、「隙間を作ること」ではないか。
みなが自己の評価を気にしてきゅうきゅうとなっている組織には、利他は生まれない。
能動的に何かをする前に、他者がするりと入り込めるような余地を空けておくこと。そして、その偶然の出会いを、ノイズとして切り捨てずに次につなげていくこと。
相手の話をただ聞くだけでもいい。じっくり耳を傾け、「面白い」と唸っているとき、私の独りよがりの価値基準は揺さぶられ、他者の入り込む隙間が空いている。利他が始まるのは、きっとそこからだ。
この記事を何度も読み、頭でっかちになっている自分を恥じました。ここでいう「隙間」なかなか出来ないことですが、心してありたいと思いました。
きゅうきゅう、キリキリ・・こんな空気の今、深呼吸して「隙間」を心にとめてやってみようと思います。
昨日までかたい緑だった柏葉紫陽花のつぼみが、白くふっくらとなってきました。もうすぐ開花です。小さなベランダでも四季折々、毎日小さな変化がありますし、ベランダから遠くに見える富士山も、同じ姿は一日たりともありません。ですけれど、雲の動き、空気、聞きなれない鳥の声に、「あらっ」と思うと知らぬうち、穏やかなになっている自分に気づきます。こんな時間を大切にしたいと、つくづく思います。
余裕がなくなったらおしまいですね。急がばまわれ!