ちっとも進まない断捨離中です。古い資料に加えたくさんの本を見つけては、パラパラ、ページめくっているからちっとも進まず、断捨離ハウツー本に書いてある通りの有様です・・
方波見康雄さんの「生老病死を支える」-地域医療の新しい試みー2006年版に目が留まりました。第6章・老いを生きるということ 最後の成熟に向けて・・から少しご紹介いたします
・そろそろ惜別の人生を覚えなければならない年齢になっている。過ぎ去った日々の記憶を、ただの追憶に終わらせてはならない。心臓手術によって、危うきところで死を免れたいま、「ぼくが、まだ若かったころ」の暗中模索の人生のあゆみの経験を、これからの新たな蘇りのよすがにと、ひたすら思っている。
セネカは指摘するー「生は短く術は長し」とヒポクラテスは言うが誤りである。われわれは短い人生を受けてるのではなく、我々がそれを短くしているのである。人生は使い方を知れば長い(「人生の短さについて」茂手木元蔵、岩波文庫)。後期高齢者と言えどもなお、人生に成熟と余熱のゆとりがあるということである。再び茨木のり子の詩を引用して、どこにでもある、だれにでもある、このささやかな物語をおえることにする。
ー自分の感受性くらいー
ぱさぱさに乾いてゆく心を
人のせいにするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ (茨木のり子「自分の感受性くらい」花神社)