「足るを知る」という生き方

知足の心がもたらす、感謝と謙虚さをベースにした、他人を思いやる利他の行い。このモデルは自然界にあります。ある植物を草食動物が食べ、その草食動物を肉食動物が食べ、肉小動物の糞や屍は土に返って植物を育てる・・弱肉強食が起きての動植物の世界も、大きな視点から見ると、このように「調和的な」命の連鎖の輪の中にあります。そして動物はその輪を自ら壊すようなことはしないのです。彼らには、必要以上にはむさぼらないという節度が本能的に備わっています。欲望のまま食べつくせばそこで連鎖は断ち切られ、自分達はおろか後に続く静物が危機にさらされることを百も承知だからです。ライオンも満腹の時は獲物を取りません。「足るを知る」生き方です。だからこそ自然界は調和をとり安定を長く保ってきたのです。

もともと自然界の住人であった人間だったのに、自分達も生命連鎖の中で生きていたはずだったのに、食物連鎖のくびきから解き放たれ、他の生物と共存を図るという謙虚さを失ってしまいました。人間の持つ高度な知性は、食糧や工業製品の大量生産を可能にし。それを効率化する技術を発展させましたが、やがてその知性は傲慢さに変わり、自然を支配する欲望へと肥大化しました。同時に足るを知るという節度の壁を消えて「もっと欲しい」「もっと豊かになりたい」というエゴが前面に押し出され地球環境を脅かすほどに陥っているのです。

私達が地球という船もろとも沈んでおぼれないためには、もう一度必要以上に求めないという自然の摂理を取り戻すしかなく、それが老子の言う「足るを知る者は冨めり」という「知足」の生き方です。欲しいものが手に入らなければ、手に入るものを欲しがれという格言もあります。「満足こそ賢者の石」知足にこそ人間の安定があるという考え方や生き方を、私達は実践する必要があります。

つまり私欲はほどほどにし、少し不足くらいで満ち足りて、残りは他と共有する優しい気持ち。あるいは他に与え、他を満たす思いやりの心。そのような考え方が必ず日本を救い、地球を救うと考えます。
但し知足の行き方とは、決して現状に満足して、何の新しい試みもなされなかったり、停滞感や虚脱感に満ちた老成したような生き方の事ではありません。古い産業が滅びても常に新しい産業が芽生えていくようなダイナミズムを有したあり方です。そのようなあり方が実現できた時、私達は成長から成熟へ、競争から共生へという調和の道を歩き出せるのではないでしょうか?

新しい時代においては、もっと相手をよくしてあげたい、もっと他人をしあわせにしてあげたいという、思いやりや「愛」をベースにした利他の文明が花開くかもしれないのです。そこへ達することより、そこへ達しようと努めることが大切なのです。そうであることより、そうであろうとする日々が私達の心を導きます。知足利他の社会へ至る道程はそう遠くないはずです。

 「生き方」人間としていちばんたいせつなこと  稲盛和夫  より抜粋