日野原先生なくなって1週間。たくさんの手元のご著書をあらためて見直す折、この付箋だらけの本は宝物だなぁと思っていたら、共著の犬養道子さんの訃報。
この夏「行動力の人」お二人を私たちは失うことになりました。
日野原先生のオマージュをもう一度お書きしようと思っていましたが、犬養さんの訃報を受け、この日野原先生とのご本から心に残る部分を引用させていただこうと思います。
「人はどう生き、どう死ぬのか」
この本は平河町のLPCで頂いたと思います。1997年ですから、まだまだ「死」を声高に話す空気もなくでしたが、本の帯が「日本の病院は半世紀遅れている」でしたので、すぐさま買いました。丁度犬養さんはスイスでがん手術を受けたばかりで、人間の生、死、病を、医師・看護師・患者のあるべき関係を素直に語り合ったこの本は、あまりに日本と違いすぎて、驚きをもって何度も何度も読み返しました。
この本の中で、「トータル・パーソン」全人医療を言っておられました。そして、医師や看護師は「ドント・ドゥ、ドント・ドゥ」ばかり言うけれど、もう少し寛容な医療があってもよいのではないか・・と。
看護学でなく、ケアそのもの。オスラーいうところの「メディシン・イズ・アン・アート・ベイスド・オン・サイエンス」
英語に「ビー・ケアフル」という言葉がありますでしょう?と犬養さん。
「愛」というと日本人にはピンとこないかもしれないけれど、昔の言葉で言えば「御大切」。切支丹は「愛」を「御大切」と呼んでいました。だけど他人様に対して「御大切」は、全部ケース・バイ・ケース。そこに一つのプリンシパル(原則)も通る、そのプリンシパルと現実とのハーモニーというか、かみ合い。これが人間のリアリティだと思う・・と。
それに対して日野原先生は、「そのプリンシパルを立てる・適用する時はいつもインディビジュアル(個別的)」と。
人によって違う。時期によって違う。タイミングも違う。すべてステップ・バイ・ステップ。それが(医療)がアートであるためには、その人がやっぱり人間としてまず成熟しなくてはならないのです。ですから偏差値ばかりが評価され医学部に入る昨今は、リベラルアーツ(教養)をなくし、学生時代の楽しい若い日の生活を犠牲にして、もったいないのです・・と。だから、ヒューマンタッチなんかまったくわからない。医療者には人間的な成熟がいるのですよ。だから一般の4年制の大学を出て医学部へ!・・と。
もし人間としてのタッチがあるなら、この人の御一生というものを御大切にして、たとえば死期迫っているということを、どういう風に言うかを真剣に考えることができる。一人の人の、一生のけじめをつけてさしあげる瞬間に立ち会う場合など、大事な役目をわれわれは担ってるのです。
正岡子規が「病床六尺」に精神的介護がないと、形式的だけではだめだと書き、夏目漱石は「私は昼、夜を通して看護をしてもらって、吐血から助かった。私は病むことによって生き返った。これからは善人になろうと決心した」と書いてもいる。ケア受けた体験が漱石を変えたんですね・・と。
日野原さんは、犬養道子さんのそのひたむきな生きる姿勢こそ、ハイデッカーの言う「最後の死への挑戦であると」。また老人にとっては、ヘルマン・ヘッセの「老いへの成熟」の姿だろうと思う・・と。
日野原先生が18日に亡くなり、犬養道子さんも24日亡くなられた。
お二人の言葉を決して無駄にはしないと心に誓うばかりの、今年の夏になりました。自分の時間(命)を人の為にどれだけ使えるか・・? そう考えるとワクワクするのは、あのにこやかで好奇心たっぷりの日野原先生から教えていただいたことです。
下の画像は、犬養さんがスイスでがんのオペを受け入院中のお食事です。当時
おかゆが基本の日本から見ると、ビックリの普通食(ステーキ!)詳しくはご本をご覧ください。
この夏休み、お二人の本を抱えて、セミの声を聴こうと思います。