日野原重明先生が今朝方亡くなられました。105歳でらっしゃいました。
当院は日野原先生99歳の時に、当院院長・奥富史郎と聖路加の理事長室で
お目にかかることができ、「オーラルフィジシアン」内科的歯科医院=
お口の中も体全体と多いに関係し、一部であると認めて拝見すること。に
ご賛同いただき、お話がはずんで予定時間をオーバーし、その場で色紙まで頂戴しました。
その折、「医のアート」という古いのですが私の愛読書を持参したところ、
大変喜こばれ、1970年代から厚労省に掛け合っていらした、成人病を「生活習慣病」にという提言のお話をされました。予てより「新老人の会」を結成し
高齢化社会日本の未来を鑑み、高齢者の健康診断の縁にする、高齢者のデーターを集めることに腐心されました。
果たして1996年には「生活習慣病」と名前を変え、今では当たり前になっています。
当院は、日本医大の癒しの環境研究会で、病院や医療機関の環境をあらゆる分野から検討しようという、実に意味ある活動に参加させていただいておりました。日野原先生とも連携しここでのご縁は今に続き、とても意味ある学びでした。
今も応援するテノール歌手・佐野成宏さんも日野原先生のご紹介でした。テノールリリコの佐野さんの声に、「このまま天に昇ってもいいくらい素敵ですね・・」とジョークおっしゃったのもつい昨日のことのようです。
そうそう佐野さんのコンサートでお目にかかった際、「あなたねェ。声って大事ですよ。いつかね、余命短い患者さんに自宅の電話教えたの。いつでも電話してと・・。そしたら就寝中に電話いただいてね。枕もとの電話に出たけど寝てた声だから機嫌悪そうに聞こえたのかなぁ?”先生今大丈夫ですか?”ってかえって気をつかわせてしまったのよ。起き抜けの声って不機嫌そうに聞こえるのね。悪かったなぁ」と。頭下げる思いで聞きましたが、それ以来私は、お話しする時はなるべく気分のいい声で話そうと心しました。
理事長室でお目にかかった時も「口の中をね、からだ全体と関連してとらえ拝見するのは、すばらしい診療だから続けなさいよと仰って。そしていきなり、秘書の方に「色紙と筆ペンね」と指示され書いてくださったのが、この色紙です。
「習慣が作る 心もからだも」
模擬患者さんのワークショップで壇上の医学生の皆さんに、手取り足取りお教えになられていた映像も、脳裏に浮かびます。「あなたねェ。今患者さんがお部屋に入ってくる様子、ちゃんと見ましたか?まっすぐ歩いてましたか・・?」「あなたご自分の白衣、きちんと着なさい。患者さんに失礼だなぁ」「あなたが患者さんの方を、患者さんの顔を見ないで、患者さんが本音を言って下さると思いますか?」「この心臓悪い患者さん、アパートの何階に住んでらっしゃるか?聞いていますか?」等など、若い医学生にあたたかくご指導されました。
データーも大事だけれど、その方の状況・生活習慣を伺いなさい・・と教わりました。このことは折に触れ、当院の患者さんにもお伝えし今日に至ります。
その後当院の患者さんのお一人が、模擬患者の講習うけて、実際模擬患者となられ、生き生きと活動されていました。
日野原先生とのご縁、そしてご教示は、小さな一粒の種となって、当院の患者さんにも伝わり、おかげさまでこうして猛暑の中、皆様定期メンテナンスに見えておられます。先生のお教えは、私共小さな歯科医院にも根づき、「自分のからだは自分で守る」ことがじわじわ伝わっていると思います。
又当院のサブカルテ・POSは日野原先生のご教示により今でも続けております。
患者さんとのたわいない会話やお暮らしぶりなど、お口の中を拝見する上で、長いお付き合いになってくると、これがいかに大切か?身に染みています。
先生有難うございました。
小学生の子供たちへ、「心臓の鼓動を聞かせる」活動も忘れられません。聴診器をたくさん持って、ご活動は全国に及びました。ご高齢になって寒い冬、ご活動の体育館で肺炎起こされたことも聞きましたが、すぐ復活され再開されました。
葉っぱのフレディのように、先生のお教えが当院スタッフ・患者さん通じて循環していることをお伝えし、先生自らお示しくださった「人はどう生きどう死ぬのか」を今後も忘れずにまいります。
最後の新聞記事がオスラー博士のことでした。
日野原先生、本当に勉強になることばかりでした。有難うございました。
せいr