ひとはどう生き、どう死ぬのか 日野原重明・犬養道子「医学はアート」①

1997年6月出版されたこの本は、当時衝撃的で、折に触れ開いては、ため息つきながら大事に読んで参りました、この本の企画は犬養道子さんが思いつかれたと日野原先生があとがきに書いておられます
ハイデッカーの言う「最期の死への挑戦」であり、老人にとっては、ヘルマン・ヘッセの言った「老いへの成熟」の姿だろうと。ここに取り上げられた問題のいくつかが、読者諸氏により、解決を早急に要する現実の問題として広く取り上げれればよいと思うとあり、特に医と医療をめぐる問題のいくつかが、深く掘り下げられて考えられ良い方向に変えられることを願ってやまない・・ともあります

僭越ですが、この中の第一部・医と医療をめぐる対話に「医学はアート」があり、その部分の抜粋を三回にわけてここにご紹介いたします。1997年のものです

医学はアート①(以下犬養道子さんは犬養・日野原重明先生は日野原と敬省略)

犬養・今日の対談のテーマではないのですけれど、「医と医療と医学」が総合して初めて「全人的」になると思います。そして、繰り返しになりますが、患者はみんなユニークな、個別的な人間であるということです

日野原・ヘルスと言う言葉は、古いアングロサクソンの言葉(古代英語)では、ホール(hal)からきてるそうです。halと言うのはwell(健康な)という意味です。それが中世ではhelthとなり、近代英語ではhealthとなったと言われます。またこのhalからwhole(全体)やholy(聖なる)という言葉がつくられたとのことです。ヘルスというのは臓器一つの事ではない、手の一本ではない。そこには全体がある。心と体を含む全体と言うのが、ヘルスすなわち健康の一番の語意なんです。
いま、あなたは、医と医療と医学と言われたんですが、日本でもともと一番ポピュラーだった医に関する言葉は医術です。医術は医のアートの事です。

犬養・そのとおりです。

日野原・医学部と言うための医学という言葉はあったけれど、医術と言うのが一般的だった。

犬養・術と言うのはいいですね。

日野原・そのうちに術を使わなくなって、医学一点張りになった。英語ではメディシンと言う言葉が最初にあった。薬もメディシン、医学もメディシン。さらにそれが科学的になってくると、メディカル・サイエンスと言う言葉ができてきた。それでもギリシャのころから、西洋には、医術と同じような言葉があって、それがアート・オブ・メディシンです。いや、正確に言うと、「アート・オブ・プラクティス・オブ・メディシン」。多くのアートがギリシャにあった、絵のアート、音楽のアート。医のアートもその一つだったんです。
アートは批評を伴うものです。音楽は批評され、絵も批評される。だから音楽や絵画は進歩する。音楽家のパフォーマンスも上手になっていく。

ところが、二千五百年前にギリシャの医術の祖と言われたヒポクラテスは、世の中には多くのアートがある中で、アート・オブ・メディシンが一番貧困だと言ったのです。なぜならば、他のアートは批評家を作ってきた。自分は弾かなくても、聞く耳を持ってる人がいた。これはすごい絵だと、見る目を持っている人がいた。そういう芸術はそれぞれ批評家を育ててきた。ところが、医のアートは、受診者にあまり情報を提供しなかったから、批評する能力のある人が育たなかった。それで医術の発展がプアだったと言ってるんです。

犬養・なるほど。

日野原・それが今でもずーっと続いてる。医療は何度も反省されてきたんだけれども、なかなか改善されない。日本においては特にそうですよ。(②につづく)