1980年のこと、自分は中流と考える人が約9割という新聞記事を読んで、作家向田
邦子さんは学校給食の影響だろうと思い、毎日一回同じものを食べて大きくなれば、そ
う考えるようになって無理はないと書いたそうです。「お弁当」と題したその随筆は、戦
前の小学校のお昼は貧富などを考えないわけにはいかない時間だったと続きます。そして
「私がもっと利発な子供だったら、あのお弁当の時間は、何よりも政治・経済・社会につ
いて、人間の不平等について学べた時間だった」と述べておられます。戦後は困窮する日
本に、アメリカなどから救援物資が贈られ、小学生は粉ミルクをのみ、全国に給食が普及
し小学校のお昼から表向きの貧困は消え、80年代ごろは世の中が最も平均して見えた時
代となった。でも思い出せば私の小学生時代もお弁当の時には、日の丸弁当はいい方で、
田舎でしたが充分にお昼のない同級生もいたように覚えています。
今、中流は細り、子供の6人に一人が「貧困」とされる水準で生活している。3食のうち
しっかり食べているのは給食だけ。給食のない夏休みに体重の減る子がいる・・と言う深
刻な話もあるそうです。親から子へと格差は固定しがちです。もうすこし利発な政治家や
官僚だったら、子供の苦境から不平等について学ぶのではないでしょうか?恵まれた世継
ぎの多い政界だからこそ、想像力を欠かさないでまっすぐ向き合って欲しいと願います。
子供のころの食事は、味覚を育て心を育て、何事があっても立ち向かう大切な人としての
軸であるからだを作ります。人はその日に食べたもので生きているというコマーシャルが
ありますが、子供に本当にそうだなぁと思う昨今です。