あなたの子どもは

あなたの子どもはあなたの子どもではない
子どもは「生命」の渇望からの子どもである
子どもはあなたを通って来る
しかしあなたからではない
子どもはあなたと共にある
しかし子どもはあなたのものではない

あなたは子どもに愛を与えることができる
しかし考えを与えることはできない
子どもは自分の考えを持っているのだから
あなたは子どもの体を動かしてやれる
しかし子どもの心は動かせない

子どもは明日の家に生きている
あなたはそれを訪ねることも。夢みることも出来ない。
あなたは子どもを好くようになれるであろう
けれども子どもがあなたを好くようにならせようとはしなさるな
人生は後に退き昨日にとどまるものではないのだから

あなたは弓である
そしてあなたの子どもらは
生きた矢としてあなたの手から放たれる ・ ・ ・ 

弓ひくあなたの手にこそ喜びあれと

               カーリル・ギブラン
               霜田静志 訳

左右異なる視力の子供増える

3月末の新聞紙上にこのタイトルで記事がありました。副題は「コロナ下 画面見る時間影響か」と。

NGO「子供の体と心・連絡会議」議長の野井真吾・日本体育大教授らが調べ、3月発行の学術誌「チルドレン」に掲載されたそうです。
新型コロナウイルスの感染が拡大する前と後の子供の視力を調べたところ、左右の視力が異なる子が増え、もともと視力の低かった子ほどさらに低下する傾向があると発表されました。スマートフォンやパソコンなどの画面を見る「スクリーンタイム」が増えた影響があるのではと見ているとのことです。

東京・埼玉・神奈川・静岡の4都道府県の公立7小学校と4中学校の協力を得て。19年と20年の健康診断における視力データー延べ5893人分の分析によるものです。

左右の視力レベルが異なる子は、男子は19年の15%から20年は21%に。女子は
19年の18%から20年は23%に増え、特に小1の男子は6%から15%に増えたそうです。

調査を発表した野井教授は「スマホなど小さな画面を見ると片目に負担がかかる。視力が安定していなかった子は影響を受けやすいのでは」と話しています。

たまたま見た、Eテレ“ウワサの保護者会”でも、コロナになって特にスマホなどの時間が増え、寝っ転がってスマホをしていたり、画面を見てる時間が増えたこと、危ないサイトを心配し注意した親御さんがしょっちゅうもめています・・と相談を寄せ、登場した他の親御さんも同じ悩みを打ち明けていました。

今では必需品のスマホですが、成長中の子供の体、あるいは心への影響も最近はあちこちで指摘されます。積もり積もって健康被害が生じないといいのですが。

こども

ちょっとの間だったけれど、にこにこ顔の男の子がテレビ画面に出てて、釘付けになった!なんともいい笑顔・・。

学校から帰ってなのだろうか?テーブルの上にいくつかの、おうちの方が握ったと思われるおにぎりがお皿にあり、さも美味しそうに食べてるさまが、何とも良くて、思わず見入った!

すると、「嫌なことあったら、おにぎりの具にするんだ!時間たつと美味しいんだよ」と。すごいな、子供の感性!

衝撃的な、キラキラした新鮮な言葉に息のんでると、傍にいた大人が「今の気分は?」と聞き、それに応えて「しゃけ!嬉しかったぁ~」と。

番組はNHKハートネットだった。
大切な子供の感性!
ハッとした。

今世界で、不幸なことが起きている。
こどもはた・か・らもの。

ドロシー・ロー・ノルトの詩

批判ばかりされた子どもは
非難することをおぼえる

殴られて大きくなった子どもは
力にたよることをおぼえる

笑いものにされた子どもは
ものを言わずにいることをおぼえる

皮肉にさらされた子どもは
鈍い良心のもちぬしとなる
しかし、激励をうけた子どもは
自信をおぼえる

寛容にであった子どもは
忍耐をおぼえる

賞賛をうけた子どもは
評価することをおぼえる

友情を知る子どもは
親切をおぼえる

安心を経験した子どもは
信頼をおぼえる

可愛がられ抱きしめられた子どもは
世界中の愛情を感じとることをおぼえる

♡毎日繰り返される戦争の報道、子どもの心を気遣って・・と新聞にある。どんな理由があっても「戦争は悪い」と言うことは伝えたい。小さな子供でも、友達どうしで力による解決をしてはいけないことを知ってるはず。近くにいる大人は、何よりも「あなたの事は私が守る」と言うメッセージを伝えよう、ニュースを見せないのではなく、安心できる場所でニュースを大人が一緒にみて、フォローできたらいいと子どもの専門家は言う。子どもの年齢に応じて「何を知っていて、どう感じているか」を把握し対話ができたらいい、丁寧に見守り続けましょうと提案しています。

震災11年目に思う

11日は東日本大震災、あの大きな津波にのまれた日から11年。朝からテレビでは、当時の目を覆うような津波の画像とともに今を生きる人々の懸命な姿が映し出され思わず涙を拭った。「忘れない、忘れられない」と言う方「思い出したくない、もう忘れたい」と言う方も居られ、複雑なおもいに又もらい泣きした。

そんな中、同日の新聞にはウクライナ南東部のマリウポリの産科病院がロシア軍の攻撃受け、負傷して運び出される妊婦さんの画像が載った。

胸がグッと締め付けられるような気がして、食事していても、何していても手が止まる。どんな思いをしているのだろうか・・。小さい子供の、泣きべそかいていない健気な姿に余計涙が出る。この光景を目に焼きつけて何を思うだろうか?わざわざしなくともいい恐ろしいおもい・・。こんな小さい時に。

インタビュー受けた福島で被災した方の中に、「思い出すのもつらい」と仰った方が居られたように「悲しみに蓋をして忘れようとする」反面「忘れることなど簡単にはできない」のも同じく私達人間なんだと思う。

このような状況の中、自分には何ができるのか、思いを寄せる事しかできない自分がもどかしい・・。

そんな時、福島を歩いて・・と言う番組で、同心円のパラドックスと言っておられ「離れてると見えないけれど、離れているから見えることもある」とコメントしてる方が居られた。せめて今起きてることを、冷静にちゃんと見ようと思う。

 

あるがまま受け入れて

コロナ禍が長引き、心が沈みがち。
こんな時だからこそ、日々を穏やかに過ごすヒントが必要です。少し前から話題になっている「マインドフルネス」は「今、ここ」に意識を向けること。どうしても人の思考は過去への後悔や未来への不安に向きがちです・・。

マインドフルネスは、不安やストレスを減らす効果が実証研究で認められたことで広まり、国内外の企業研修でも取り入れるところが多いようです。よく実施されのが「瞑想」。

瞑想でも、つい考え事をしてしまいますが、考えてしまうことをやめようとするよりは、「考えているんだな」と先ず気づくことが大事だそうです。気づいたらどんな感情も否定せず、感情があることを認めようとすればいいと。

人間は、他人や「昔の自分」「理想の自分」と比較しがち。でも自分の様々な働きに意識を向けると「ここに自分が存在してるのは、自分の様々な働きがあってこそ」と気づくことがあり、「自分の一番の味方は自分」と感じる人もいるそうです。

「こんなはずじゃなかった」とあがくより、これも今の自分と認めたらどうでしょうか?と。そうすると感情の支配から抜け出れるそうです。

ついスマホを見たりテレビを見たりしてしまいますが、何もない「無」の空間に身を置いて自分に向きあうのもいいそうで、パナソニックが「MU ROOM」と言う小部屋を、ホテルの宿泊者向けに作ったところ好評だそうです。

瞑想は、何も座禅をくむことでなく、例えば日常生活で家事をしながら、食器や水の音に耳を傾ける。歯磨きする時に一本一本丁寧に磨く。こんなことでもいいそうです。

「今、ここ」に意識を向けて。

感情を否定せず「これも自分」 あるがままを受けいれて。

散歩をしてたら、沈丁花に蕾がついていました。梅の木の枝が揺れてたので見たら、メジロが花をついばんでいました。人のいないところで一瞬マスクを外すと、ふんわり梅の花のにおい、春の風のにおいが鼻をくすぐるかもしれません。

春が来ます。

かんてんパパ

新聞に医療用寒天!とあったので、もしや長野の伊那食品?と見たら、いきなり画面にリアルな臓器が!
エッ!?と見たら、寒天で作った肝臓でした。しかも血管までリアルに・・。

国内最大手!と出たので、思った通り寒天のトップメーカー伊那食品でした。でもなぜ?医療の世界に。

この伊那食品は、もう随分前から「かんてんパパ」の名前で私や友人たちは愛用でした。何と言っても杏仁豆腐が簡単に美味しく作れるのです。お恥ずかしいのですが、友人たちとそれこそ丼レベルで作って、ガバガバ食べていました。ほかにフルーツ味やコーヒーなどもあり、ラーメン状の糸寒天もあり、痩せたい友人はご愛用でした。

仕事柄、飲み込みの問題が少しづつ出てきた頃、2004年くらいだったでしょうか?聖隷三方ヶ原病院リハビリテーションセンター長でらした、藤島一郎先生が「摂食・嚥下リハビリテーション」と言う本を出された時、この事は大きな問題になるなぁ、寒天が役に立つなぁと思って、伊那食品に連絡したこともありました。
今では介護の現場や病院で「とろみ」は当たり前のものとなりましたが、当時は先ずは伝統食としての寒天、ゼリーや水ようかん、はては凝固剤位の認識だったと思います。しかしながら、当時伊那食品に連絡した際の、丁寧さと前向きの姿勢を感じる応対に、すごい会社だなぁ~と思ったことをよく覚えています。通信販売で杏仁豆腐を取り寄せると、必ず社員さんからの丁寧なお手紙が付いてきたのも、同じ通販の先駆けかと思います。誠実一路なんですね。

番組をみてトップの「快適に働ける職場づくり→いい会社を作りましょう、幸せな会社を!」という経営方針を伺い、48年増収増益も頷けました。元々寒天を戻すのは重い上に人がやる冷たい作業、この重労働を見て工場建設を決断したと。

尚且つ、今回の医療において「肝臓モデル」を作り上げたように、「ずっと変わらない技術と経営開発・研究開発唯一無二の商品を創ろう」が経営理念と聞き、昔から美味しいから頂いている杏仁豆腐のように、当時まだ珍しい通販なのに商品も美味しくすべて丁寧で、電話に出る方も気持ちよく、商品には社員さんのメッセージがついていたことなど、顧客目線がファーストな会社との印象です。

番組最後に現在の二代目社長さんが、「売れるからではない、世の中の役に立つ、自分が欲しいものだから開発するんです」と並々ならぬ、さりとて肩に力入っているんではない、若い人にも門戸を開いて開発に従事させている新しい会社の息吹を感じました。

現在プラスティックの代替品として、食べられる、食性のフィルムの成功にたどり着いたとかで、既にインスタントスープに利用され、次つぎに広がっていきそうです。

一口に寒天と言っても、作られるのは海藻からで、世界中から海藻を集めても、それぞれ性格が違って難しいようで、研究に努めお役に立つ商品を開発していきたいと言う意欲に燃えてらっしゃいました。年輪の素晴らしい木目を見せて、年輪経営を目指すんですよと。
この時代にあって、微動だもしない、昔から変わらない爽やかで確固たる姿勢に、経営のスタンダードを見ました。

杏仁豆腐の丼サイズ久しぶり挑戦しましょうか?

ナナフシ

一家で昆虫採集?と言ったら叱られるでしょうか?ファーブルバトンと言う番組で、石垣島の野山を歩き不思議な生き物に歓喜する一家を見ました。

雑木林の中で、こちらからは何にも見えないけれど「アッ居たいた!」と大喜びの一家。そうッと手にしたもの、「枝じゃないの?」と私。まるで枝。

ナナフシと言うほんとに細い枯れ枝のようないきものでした。羽もないのです。
敵が来ると、枝に化けて難を逃れるそう。不思議ないきものでしたが、見つけた時の無邪気なこのご家族のはしゃぎように、見ている私も笑ってしまいました。世の中には、自然界には、まだまだ知らない生き物が一杯です。そしてこんな無邪気に野山を歩かれるご一家に、なんだかほのぼのしました。

そうそう、ちょっとしたことを思い出しました。
ず~いぶん前の子供のひとこと投稿欄に、傑作が載ってましたっけ・・。

 「ネェお母さん、クモって納豆食べてるんやろか?」

クモの、糸を見て思わずこう言っちゃった、子供の発想に大笑いしながら「すごいなァ~、新鮮だなァ!」と感動したものでした。

自然界にはまだまだ不思議がいっぱい。小さな生き物を見つけて、キラキラする気持ち大事ですね。そういえば、コロナで群馬の奥の方に住まいを移したご一家の話しで、田舎の満天の星を見て小さいお子さんが「お星さまがいっぱいで落っこちてきそうだよ」と言ったとか。こういう子供のことば、宝物ですね。早くコロナが終息して、子ども達がワイワイ、元気に走り回るのを見たいと思います。

どこからか言葉が  谷川俊太郎

二月

柔らかい苔を踏んで死者は歩む
まだどこかへ行こうとしているのか
生が成就したことに気づかずに
ひっそりと死者は行く

置き去りにした愛する者たち
いのちは息づくことをやめない
執着も未練も枝を離れて風に舞い
穏やかな足取りで死者は歩む

遮るものは何一つない
青空と大地が夢のように懐かしい
好きだったアンダンテの
あの始まりの数小節のように

生者を虜にする「意味」の
何?も何故?も放下して
無言の含羞のままに
隠された秩序へ死者は向かう

声をひそめる者はいない
明らめがほのかに照らす道
過去の物語に送られて
死者は歩む

            谷川俊太郎さんの書き下ろしの詩 二月 
    立春過ぎても寒さの中にあって、でも陽の光に春の気配もたまにはあり
    最後の 明らめは 晴れ晴れ 心明るく と感じ入った・・
   

ぽん ほん ぼん

なんだと思いますか?

鉛筆が10本あったと思って、1~10まで数えて下さい。

一本 いっぽん
二本 にほん
三本 さんぼん
四本 よんほん
五本 ごほん
六本 ろっぽん
七本 ななほん
八本 はっぽん
九本 きゅうほん
十本 じゅっぽん     ネ! 

言われてみれば、ネ!

な~んだと思わず、面白いですね、日本語って!

折々のことばより

いちばん必要なのは「わかっている」人ではなくて、現役でやっている人、つまり今でも「わかろうとしている人」です。    五味太郎

 子どもの学びについて絵本作家はこう言う。「わかった」人が「わからない」人に教えるのが教育とされるが、人生「わかった」と言う境地 に立てる 人などいない。
 だから「わかった」気でいる人の話には要注意。「人生、そこらあたりが問題なんだよね」と共に考えてくれる大人が近くに居ると一歩前に進める。          
                       (大人問題)から。
       

氷食症?

あなたの周りにもいらっしゃいませんか?
冷たい飲み物の氷をガリガリかじる方・・?

時々ならまだしも、いつも、常に、ご自宅でも、夏冬限らず氷をガリガリかじる方がいらっしゃるそうです。見てるだけで寒い!

そうしたらなんと!「鉄欠乏性貧血」の一つのサインと・・。
その知らせとして、お口の中が熱くなったりするそうで、そうすると脳から「冷やして」の指示が出て、氷が欲しくなったりするそうです。にわかに理解できませんでした。

貧血にはいろいろな原因が考えられますが、偏った食生活や何かの臓器からの出血も考えられるので、軽く見ないで血液検査をしてみて下さい・・とのことでした。思いがけない展開と説明に、いやはやビックリでした。

広まってきた パタカラ体操

「がんばらない」で有名な鎌田先生。最近は随分ダイエットされて、中高年の健康体操など実践しつつ広めておられます。元々諏訪の有名な病院長先生で、長野県を健康長寿県に生まれかわるきっかけをつくられました。

テレビにもよく出られますが、コロナ禍でマスクしてるが所以の、「口腔虚弱の予防」として、”パタカラ体操”を薦めておられました。もう皆さんよくご存じだと思いますが、「パ・タ・カ・ラ」をリズミカルに発語する体操で、随分前から誤嚥予防に開発されました。

クリニックでも、よくご案内しておりまして私共では、「パパパパ・・」「タタタタタ・・」「カカカカカ・・」「ラララララ・・」と単独にリズミカルに発語していただきましたが、鎌田先生は「パタカラパタカラ・・」とご案内でした。どちらでも良いと思いますが、とりわけ「カ」は難しいので、単独に発語を続けられると、よりいいと思います。

「カ」の発語は、「喉」を使うので、とても難しいのです。でも続けてなされば段々に早く出来るようになります。

鎌田先生は、面白いことおっしゃって、「イライラしたり」「怒りっぽくなった時」には、脳の前頭前野が⤵ってる証拠だから、「パタカラ・パタカラ・・」とやってみるといいですよ!とにっこり笑って仰っていました。な~るほど。

当ブログの2021・6・23 嚥下障害・2021・12・20 ”声の力を鍛えよう”にも
関連記事あります。よろしければご笑覧下さい。

アサリ

やはりニュースに出ました!

今スーパーでアサリを買おうとすると、殆んど「熊本産」
そう書いてあるから、熊本で採れたものだと思っていたけれど・・。

先日からテレビで、中国や韓国からのアサリを熊本にトラックで持ってきて、砂浜にその外国産のアサリをまき、一定時間経過したら、又トラックで市場に持って行けば「熊本産」になるのだとか!!畜養と言う言葉があって熊本で育てたということになるらしい。それって、いいの!とびっくりして口が利けませんでした。そんなことがまかり通っているなんて・・。堂々と!
約束事はないの!?抜き打ちチェックはしてないの!?

年間2485tここで出荷されるアサリの内、熊本産は21tしかないのが今の現実で、この事実は、このような偽の畜養していた人が逮捕されて表に出たものらしく、やってはいけないことだったと反省して、当人たちは改善すべくとりかかり始めた!とも報道されました。

ため息ついて呆れていたら、翌日からあちこちのニュースで「熊本産」と言って売ってるアサリはほとんど外国産が判明、調査に乗り出した!と、どの局もこぞって取り上げてました。知らぬは消費者ばかりです・・。

しかしながら、このニュース以来、急にアサリが姿を消し、代わって急にはまぐりが登場。それが風評受けて全く売れないと・・。気の毒に思いますし、正直この季節、アサリをいろんな風に調理して食べたいなぁ~と思います。この時期おいしいシジミがあっても、アサリとシジミの味は全く違いますから・・。シジミはシジミ・アサリはアサリ。

このアサリのニュースで、日本のいろんな食糧事情を垣間見ることになりました。もとより自給率の低い日本。昔だったら冬にキュウリやトマトはなかったわ・・なんて言っても仕方のない今。だけども、自分の口に入るものを、もっと知っておく必要があるのかもしれない・・とつくづく思ったことでした。

アサリのお味噌汁。安心して食べたい、あったかいのを味わいたいですね。

 

折々のことばより

 身長と体重だけ見て人物評を行うというようなことを、
 一般の世界では平気でやってる人がザラにいます。  西江雅之

ものごとはいずれも意味の「多面体」であって、どの角度から見るかで異なる相貌を現すと、言語学・文化人類学者は言う。自分が今見ているのは「事物の一例の、そのまた一側面でしかない」のに、そこから全体を滔々と述べ立てる風潮を憂える。教育をめぐる議論はとりわけその傾向が強そう。
                     (新・ことばの課外授業より)

FAST

久しぶり耳にしました。FAST!
     →脳梗塞に早く気づく注意点です。

以前クリニックでも気づいて頂けるように、待合室に提示しておりました。

F (Face)→
                「イーッ」としていただき片方の口など、歪んでいないか?

A (Arm)→
                 目をつぶり両腕を上向けに上げ、
                どちらか一方が下がったりしないか?
     
S (speech)→
     「生き字引」言ってみて?しゃべれますか?

T (Time)→
     発症時刻をメモ。脳梗塞の処置には時間経過が特に大事です
       

     この四つのどれかに、また複数あらばすぐ119番に電話!
     治療は迅速に!です。

小さなことば

難しい状況でも、
そこで幸せを見つけられる方法を考えることは、出来ると思う。

そして周りに、支えてくれる愛すべき人が
ほんの数人でも居れば
人生は生きるに値すると思う。    北川悦吏子

とろみ付き飲料自販機!

もう皆様はご存知でしたか?
サービスエリアや、デパートなどでなんと「とろみ付き飲料自販機」があるんだそうです。
バライティ番組の、音がうるさいので替えようとと思ったら「ごいん?」と若いタレントが言ってて「ごえん?」じゃないの?と思い直してみた番組です・・。

その自販機がすごくて、コーヒーやら、日本茶、ジュースなどもあり、出演者がいろいろ試していました。とろみには三種あって「薄い」「中間」「濃い」で選択できるようですが、薄いってどんな感じ?濃いってどんな風なんでしょう?
中間はトンカツソース? 濃いはケチャップ位だそうですが・・。

とろみのついた飲み物の意味が分からない出演者たちには、総じて不評でした・・。たぶんお若い方々には、そののみ込みにくいというご不自由さが実感なかったのかもしれませんね。

最初にトライした方は、日本茶に薄いとろみつけましたが「マズいよ~」と。次に味見した方はコーヒーにとろみ「なんか味噌汁みたい」と見た目を仰って。最後にトライした、トラウデンさんは甘いレモン味のジュースをチョイス、「飲むゼリ―みたいで美味しい」と、さまざまでした。
お料理でのとろみ(あんかけ焼きそばとか・・)しか慣れてない方には、ちょっと違和感あったようでした。

この飲料には、医療現場で使われている、キサンタンガムが加えられているようでした。医療の現場や、高齢者施設などでは、もはや当たり前のとろみですが、誤嚥の危険がある方や、のみ込みが困難な高齢者や病気療養中の方などが身近に居ない方には、きっと「なんのこっちゃ、飲み物にとろみって!」だったのではないでしょうか?

普通にできる、嚥下=のみこむという行為が不自由になる・・と言うことが、少しでも伝われば意味ある番組でした。

かつてクリニックでも「吹き戻し」をお配りしたり、唾液腺マッサージや、「あいうべ―体操」「パタカラ体操」などいろいろご案内し、のみ込みにくくなるということがどれだけ大変なことで、でも普段から気をつける方法もあるとご案内してきました。「吹き戻し」は高齢者施設にいる身内も毎日のやる事リストに加えて頂き、お陰さまで他の方にも利用が広がっています。それがきっかけになって、お食事前の「嚥下体操」実施につながりました。やはり意味あるようです。

なかなかとろみ飲料自販機が普及するかどうか「?」ですが、冷たいにせよ、あったかいにせよ、”美味しくなくては頂けません”、これは大事なことです。
ご病人、もしくはご不自由がある方にこそ美味しくなければ、勇気を出して試されても、なかなか利用いただくまでには至らず、広まりません。

まぁその一段階目として、とろみ飲料の自販機が出来たのでしたら、大いにいいことだとは思います。
また、とろみだから誤嚥しない!と言うことでもないので、召し上がる状況や姿勢も大事で、傍に世話する方が居れば、尚望ましいと思いました。
ちなみにこの、誤嚥対応のきっかけは、随分前のお茶ゼリーの開発に始まります。この分野にご貢献の金谷節子さんのご活躍大なるものと思っております。

※2021・6月ブログにも誤嚥に関した情報あります。

ちがうことこそ、ええこっちゃ

最近、公共交通機関で車いすの方が、電車にスムーズに乗られる様子を、皆さんご覧になっていませんか?お乗りになると、何やらスマホを操作され、降りる駅に着くと、駅の方がその方の扉にすっと降車板のようなものを差し出し、車いすがスムーズに下りて行かれます。すばらしいサービスだなァと、いつも感心して見ておりました。

半世紀の間、様々な障害者運動に携わってきた、車いすの男性の方の記事を読みました。当初地下鉄側も後ろ向きだったが、署名・募金活動しながら議員やマスコミ等様々な方が加わり、運動が広がっていったそうです。

この方は小中学校で講演活動もし、ある小学校では、体育館で待つ子供の前に松葉づえで登場した途端、「おっちゃん、どないしたん?」「足悪いん?」「トイレどうするん?」と質問の嵐。子供の反応が面白くて必死に受け答えしたそうです。松葉づえは魔法の杖。年齢差の垣根も吹っ飛ばしてくれると。今まで約30万人ほどの子供達に話をしてきたそうで、障害者を理解してもらうというより、子どものうちに「障害者」と言う固定観念をいかに振り払ってくれるかが大きなテーマだと仰っておられます。

又、障害者も「自立」と言うことを考えておられるそうで、日本では、幼い頃から一人で何でも出来るようにと自立を促される、社会の中で「速く」「がんばれ」「信用できるのは自分だけ」と。これでは「孤立」なんですと。この方の様に他者の力を借りながら、自分の生活を創り出すのが本当の自立ではないか。人間関係を増やすほど自立度は高くなると。

障害を持つ子と持たない子がともに学び、共に遊ぶ教育も、活動始められた半世紀前からあまり進んでいません。一緒に遊べば人生は豊かに広がるはずですと仰っています。「違うことこそ。ええこっちゃ」ですと、
今は電動車椅子のNPO代表理事さんでいる方は、バリアフリーは進んだが、社会の障害者観はあまり変わっていないと感じているそうです。

「共に育てば豊かな人生」 進んでいくといいですね。

ケア

先日「問いとは自ら見出すもの・・」と言う話を耳にしたものをここに上げさせて頂きました。偶然とはあるもので、その数日後に「上野千鶴子・最後の講義」と言う番組にも出会いました。

相変わらず歯切れのいい上野さんですが、この日は30代から40代と思われる男女10人くらいの方々との、相互交流ある面白い番組でした。

ここでも、「ケアは双方に良いもの」だと。
アンハッピーな介護のしわ寄せは、弱者(介護される人)に行くのよ!と。

そこで上野さんらしい強烈な例を上げました。
女性がね、同居してる年寄りの世話しても無料、当たり前と言われるけど
隣の他人のおばあちゃんの世話すれば有料なのよ!と。(会場の男女が、ビックリして一斉に顔を上げました!その表情が最高に面白かったです。ほんとだ!と気づいたのですね)
その上、上野さんは、こうもおっしゃったのでした。
  当たり前の嫁の仕事→強制労働 forced  powerなんです・・・と。うわッ!

その場にいた参加者の女性が発言しました。家のこと全部やって、子供世話して、仕事に行って、その仕事も自分が一番上だから模範示さないとならなし・・と言うと、上野さんは「力には限りがあるよ。優先順位をつけなさい。出来ないことは目をつぶって・・。欲張らずに一つずつやっていくのね」と言った瞬間、発言した女性の目に涙があふれていました。さらに優しく、強がらず、弱さを認め合ってね・・と。
  強者はずっと強者ではいられない。強者も弱者になるのよと。

だからね
 ・安心して弱者になれる社会
 ・安心して要介護者になれる社会
 ・安心して認知症になっても殺されない社会
  (好きで認知症になるんじゃないからね・・と)

あの阪神大震災で、自助・公助の他に日本には共助と言うものがちゃんとあった!それを知ったとことは大きかったとも仰いました。

「ケア」と言う非暴力の実践に男を招き入れるのが女の役割ですよと加え最後に

 ”フェミニズム”と言うのはね、弱者が弱者のままで尊重される社会なのよと
締めくくられました。集まった30代40代の男女みんなが、いちいち大きく頷いていたのがとても印象に残りました。その若い方々の真摯な反応・発言が力強く感じられ、さわやかなひと時となりました。希望が見えるようでした。

 

問いとは自ら見出すもの・・

CMと知りつつ、つい読んでしまった対談。受験のSAPIX担当者と上野千鶴子先生でした。

「どうしたら自ら課題を見つけて問いを立てられるようになるでしょうか?」「それはその人の中からしか生まれませんよ・・」と上野さん。ただなるべく異質なものと振れる機会を与えてあげるとよいのでは・・と。例えば外国で異文化に触れる、高齢者や障害者と日常的につきあうなどすると、自然と沸き立つ違和感が、その人の問いに繋がるのでは?それがまさにダイバーシティ。新しい価値は異なるものとの摩擦から生まれるのです・・とも。

情報工学では、情報はノイズが転化したもの。ノイズが発生しない同質的な組織からは、価値ある情報は発生しない。つまり新しいものは生まれない。

多様性とは「ノイズ」=弱者を尊重すること。子供は大人にとって最大のノイズ。その大切な子供を、大人社会が求める均質な人材に育てる為に、管理し競争させているのが現実と。

男社会においては女性もノイズであると。その女性を、男性と同じように扱い働かせようとしている点が大変問題。
「わきまえる女」はノイズを立てないでしょう?とも。

弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想が、フェミニズムです。弱者とはまさにノイズなんです。弱さは一人ひとり違い、その多様性の中にこそ、未来の可能性がある。でも今は自己責任論が強く、弱音を吐きにくい社会。家庭と教育現場で子供が安心して弱音を吐ける場になっているでしょうか?そうであってほしいと願っていますと。

問いは本来与えられたものではなく、自ら見出すもの。正解のない世界の中で、自ら課題を見つけ未来を切り開いていく人間を、私達は育てなければならない。

CMと知りつつも、つい読み入ってしまいました。当ブログにバリバラの番組をよく紹介するようになったのも、まだまだ知らないようで知ってるふりしていることが身近に沢山あって、反省も含めて、知ることによって新たに生まれる理解の意味を痛烈に感じたからです。

先日再放送になり樹木希林さんの映画「あん」を久しぶり見ました。樹木希林さんがあんこを煮る前に、その小豆がここに来るまでの道筋に思いを寄せて煮るのよ・・と丁寧に丁寧に段取りして煮ていくさまに感動し、あらためて何でもそうだなァ。そこにたどり着く迄、出来上がるまでの過程に思いを馳せる事・・と。そして亡くなっても、お墓すら立てられない人がいること。その代りに一本の木が植えられるという現実を知りました。美しい映像と森に溢れる鳥の声に、様々なこと、改めて感じ入ったことでした。

心身ともに健康?

よく見る番組、バリバラ。

この日は障害がある方でも、俳優になりた~い!でした。
ある車いすの女性は、俳優になるべく行った養成所?専門学校の先生に「あなたのような人を使いたいと思う事務所はないよ」とダイレクトに言われたそうです。

いらない!
使えない!と。

そして専門学校の入学要綱に、小さく「心身ともに健康な人」と書いてあると。そんな人いるんかい?と司会者が思わず言ってました・・。ホントホント。

脳性まひ、知覚障害の男性は車いすだけど、どうしても声優になりたいとオーディション受けるとこまで頑張ったが、全敗!だったよと。番組内の寸劇では素晴らしい演技、対応でした・・。

この番組に出演した障害ある方々は、「私達も同じ土俵に立ちたい!俳優の世界から障害者でもアップデートしたい!」とみんなおっしゃるのです。

その場にいた映画監督・三島有紀子さんは「心身ともに健康って、逆にどこにいるの?」と。同じく参加者の女優・常盤貴子さんは「もしその俳優さんに障害があるなら、周りが助ければよくない?重い荷物持ったおばあさんが居たら手を貸すのと同じじゃないの?」とおっしゃたのが印象的でした。

現に「神戸塾」と言う障害者の俳優養成所があるそうで、筋ジスの方などは、肺活量が少なく一気にセリフ言えないけれど、「その役は私しかない」と思ってやってみて!と。この日応援団居る中、筋ジス・視覚障害・四肢機能欠損、脳性マヒなどの方々が、堂々と一生懸命演技なさり、チャレンジされる姿に感動しました。

そこにいた三島有紀子監督が「普通って一つもないよ」「その人なりの表現が普通」と仰って、居合わせた障害お持ちの方々、我が意を得たり!とニコッとされた表情がとても素敵でした。三島監督は、「訓練すれば、光る人がいるよ!」とも仰って出演した障害おありの方々も、大いに勇気を頂いたようでした。

考えてみれば、年取るということはみんな何某かの不自由や障害が出てくること。「普通って何だろう」「心身ともに健康って!?」お正月早々大いに考えさせられたバリバラでした。

それにしても、この番組に出る障害お持ちの方々の明るさに、ぐずぐず言ってる私はとても励まされます。困難おありでしょうに、すごいなぁ~。

カメムシ

昨年は、本当に悩まされました、ベランダのカメムシ。何気に居るんですよね。
姿も言っちゃなんですが、地味な割に大きい。そしてうっかりさわると臭~い!そのカメムシって、なぜか音もなくいます、ベランダに・・。新年早々失礼。

大の虫嫌いの奥様の為を思って、出雲市の木材屋さんの親子が悩める人の為にと8年かけてカメムシ捕獲機を開発した!と新聞に載りました。
すごい!奥様おもい!!

マジックハンド型で、「カメムシさん捕獲機パックリン」→カメムシを「パック」し「クリーン」になるから・・?まっネーミングはいまいちだけど、手で触らなくていいのならOK!

商品化してテレビに出たら注文が殺到、家族では追いつかず、アルバイトも雇った由。首都圏からの注文が相次ぎビックリしたとのことでした。「東京にもカメムシが出るのか!」と。

この記事の翌日には昆虫食の記事があって、コオロギどころか、ショウジョウバエの幼虫も!いずれ・・の記述に、そのうちカメムシもとならないよねェ~とびくびくの私です・・。

脳トレ

先日どうも同じ年齢の?それ以上の?男性・女性が不思議な歩き方をしているのを見ました。テレビの番組です。

解説によると、足踏みしながら、「イチ・ニ・サン・シ・ゴ・・・」と数字を数えながら、5の倍数→手を叩く! 7の倍数→バンザイする・・と言うものでした。結構皆さんお上手で。

な~んだチョロいじゃないか!とやってみると、出来ない、出来ない、ムリ!

でもさっきの方達やれてるし!・・と気を持ち直して、思いついたらやることにしました。まあ騒々しいのなんの・・。

パタカラ体操にしても、あいうべ~体操にしても、続けなきゃ意味ないわけで・・。さんざん患者さんにお勧めしてきたのだから・・と、一念発起してやってみようと思いました。

そう言えば、何十年前、高校の時「リトミック体操」と言うのがあって、狭い体育館をぐるぐる廻りながら、右手は三拍子、左手は四拍子、足踏みしながら・・ねと女の先生に指導されたのを思い出しました。先生の名前思いだせないなぁ~。

リトミックと同じだ!と思いつくも、当時の年齢でも難しかったんだから・・と愚痴も出そうですが、今は超深刻な脳トレ世代です。やらない手はありません。三日坊主にならない様にがんばろうと思います。

「イチ・ニ・サン・シ・ゴ・・・♪」

酒蔵の挑戦!

いきなりですが・・、私共の長年の友人のご本家の酒蔵が、1月8日NHK「おはよう日本」朝7時から7時30分全国放送に登場なさると連絡頂きました。
山梨・井出醸造(甲斐の開運)さんです。新しい試みのウヰスキーつくりが紹介されます。一度放映予定でしたが、番組の都合により8日朝に変更されたそうで、友人は”お蔵入り”にならないといいなぁ~と新年早々の駄洒落です。
チャンスありましたら、ご覧ください。

勿論日本酒も、大変美味しい蔵でらっしゃいます。
「開運」ですから!

2022年が、皆々様に良いお年でありますように。

”声の力”を鍛えましょう

先日、中年女性のイビキの記事を書きました。

そう言えば・・と思い出したのが、山王病院耳鼻科医師のコロナ禍を憂えての提案でした。

コロナでマスク生活な上、人との接触・対面を減らさざるを得ないため、しゃべらなくなってることのリスクです。

お喋りは女性の、特に中年以降の女性の特権!?ですが、この時期さすがの我々女性もしゃべる回数・機会は相当減っています。
喋らなければ、声帯を使いません。筋肉の上に粘膜のってるのが声帯ですから衰えて当たり前です。

そこで提案されたのが、実に簡単なこと、これならできるかも・・!
☆彡大きく息吸ってから、一息で何秒「音」を出せるか?
 「あ~」ッと、男性なら30秒
        女性なら20秒頑張って声出して欲しいそうです。

☆彡もう一つ、ストロー加えて「う~」ッと5秒以上声を出し続ける、この事で
  声帯をしっかり振動させ、喉の圧力高まるそうです。

出来ることからやってみませんか?
なんと、アントニオ・猪木さんの”燃える闘魂”ドキュメンタリーで、猪木さんがこの「あ~」をベット上で実践してました!凄いですね。さすがです。

無理ムリ・・と言う方、ハミングや鼻歌もいいそうですよ。
レッツ・トライ!

見回りの目と見守りの目

農村と都市の違いはなんだろう。農村出身の若者と話をしていたら、彼は「規制の働き方が違う」と言った。
「ヘルメットをかぶらずにバイクに乗って警察とすれ違っても、その場で何も言われない。警察官も顔見知りなので」たぶん、警察官があとで親に「息子さんに気をつけるように言ってください」と言うのだろう。

社会学者の泰斗・鈴木栄太郎は、日本の村には個人を超えたところで個人の行動を規制する「村の精神」があると言った。近代思想の下、それは自由を規制する古い因習と見なされ、克服すべき存在ともされた。

だが村の精神が存在した根拠は、そこで暮らす共同体構成員の全てが永続していくことを目的としたところにあった。続いていくことを目的に人々に向けるまなざしは、無事を願う「見守り」の目である。

今般のコロナ禍都会では(コロナ蔓延時)「見回り隊」が飲食店をまわっている。膨大な数の店舗一件一件を、膨大な時間と労力をかけて訪問したという。新型コロナウイルスの感染対策をしたくとも、お店の大きさ、場所の制限で難しい店舗もあるだろうに、そこに対しては見守りではなく「監視」の眼差しを向けざるを得ない。

都市は冷たく、農村は温かいと言いたいわけではない、だが、少なくとも農村には、そしてかつて多くの地域には、その人の立場に立って、その人が続いていくこと、無事であることを願う「祈り」を伴って向けられた見守りのまなざしがあり、それが地域存続の危機を乗り越えることを可能としてきた。

いまわれわれは、過去の人たちから「どう行動するのか?」という厳しいまなざしを向けられているように思う。    今年(2021)の経済気象台より

中年女性のイビキ

ショックな番組でした。
最近中年女性のイビキが散見され、何と!心臓に負担かかり、頭痛や肩コリの原因にもなっているというのです。

軟口蓋・舌根が気道に落ち、粘膜を震えさせて乱気流が起こるのが原因と。サッパリわからん・・。
イビキ(SNORE)は軌道が細くなるから心拍数上がる!のはわかる気がします。

この原因が、所謂女性ホルモンが減る→筋肉の張りを保てなくなる
→のどの周りの筋肉が弱くなる・・のだと。

どうすりゃいいのよォ!

そこでいつもやっている
☆彡「あ・い・う・べ」体操を続けていればいいのでは?と思い到り、地道に続けています。すごい顔になりますから、お一人の時に!

☆彡「あ~」と10数えるくらい声出すこともいいかも?お一人の時に!

☆彡そうだ!「ぱ・た・か・ら」体操もいいかも!?
      「ぱぱぱぱ・・・」「たたたた・・・」
      「かかかか・・」この「か」の打音はとても難しいですけれど、続
              けていると出来るようになってきます。

何れも、時と場合を考えて、やってみましょう。
ヤレヤレ・・です♡

 

若年性認知症の方の番組を見て・・

たまたま二度も遭遇した番組でした。

認知症ケアの新しい取り組み、ユマニチュードを細々学ぶ身にとっても、又改めて思うことの多い番組でした。

今までそのご家庭では、奥様に何もかも任せっぱなしだったというご主人が、その奥様が若年性認知症になって、大変身してお世話する姿に心打たれました。今では介護を学ぶ仲間の会で、ご自分の体験を真摯に述べる姿にも感動しました。

「認知症の方はとても敏感です。我々がイチ言うことが、サンにもヨンにも感じます。だから我々が言うこと、言い方はとても大事です」と。認知症の奥様を見守る,かつては何もしなかった!と言うご主人自らのあったかな言葉でした。

又働き盛りで若年性認知症になった65歳の男性は、この診断受けて川に身を投げようかと思ったそうですが、思い直して日記をつけるようになったそうです。「何が伝えられるか?」言葉では伝えられないので書いてるそうですが、いざ書こうとすると「何を書くか?忘れることもしばしば・・」と。それを聞いた奥様が大笑いでした。でも、ここまでこのご夫妻がたどり着く迄、どれだけご苦労あったかと想像し泣き笑いしてしまいました。出来なくなることが増えるのは仕方ない。だけど自分らしい人生は送れる・・と日記を続けておられるとのことでした。書くことはいい!と他の認知症の方にも勧めておられました。

お傍にいる奥様が「楽しく笑って、生活できたら幸せやね」とカラカラ・・と。

ことばの大切さ、思いやりに満ちた想像力・・大切なことを教えて頂いた番組でした。

耳印・音印

ワクチン接種も進んだせいか?ここへきて急激にコロナ感染者が激減し、人々の活動も活発になる中、医療関係者からは第6波も懸念されています・・。ここへきて、オミクロン株なる変異株も取り沙汰され、空気感染?と言うニュース報道もあり慌てています・・!

夏ごろのコロナ感染爆発の時期でしたが、視覚障害の方から、切実なお困りを訴える番組を見ました。目の不自由な方々が、普段どのように行動してらしたか・・!ビックリするお話しと訴えでした。

普段白杖を持たれて、街中や交通手段を利用される時、「音を頼りに行動してる」と知ったからです。その音も、「お店の音・活気」「自動販売機のお金がチャリンと落ちる音」だったり、「お店の自動ドアが開く音」等など。伺ってビックリしました。音を聞いて、あそこだな?ここだな?と感じられて、ご自分の記憶と突き合わせながら行動されてるんですね。

ですので、コロナでお店が閉まり、人の流れの「音印」が無くなって、空間認識がわからなくなったということでした。
加えて、人の外出が制限されたため、声をかけてくれる人も少なくなり、「参ったな~」と思われたそうです。

最近は、白杖を少し持ち上げることで「サポートして下さい」のサインにしてます!と仰いました。街で見かけたら失礼ないように、お声がけしてみようと思いました。

以前、大塚の駅に居ると、よくホームに白杖ついた方が居られ、電車が接近する時などヒヤヒヤしたことを覚えています。ご器用に安全なところを歩かれますが、急に人が走ってきたりすると、危ない!と思った事もありました。どのタイミングでお声がけをしたらいいのかわからずにおりましたが、これからは臆せず適切なお声がけしようと思います。

南大塚郵便局では、コロナでドアが開けっぱなしとなり、→視覚障害者が困ってしまったので、ドアマットを新たに増やして、入り口を誘導できるようにしたそうです。

又スマホには、「SIKAI(視界)」と言う誘導サービスが出来ているそうです。

障害者の方々の社会活動が安全に確保されるようになるといいですね。それにはその方々が、日常どうやって、何を頼りに行動してらしゃるか?知ることから始めないと、何も始まらないと知りました。良い番組に遭遇しました。

歳を取るということは、何かしら不自由が生じることだと、最近認識するようになった昨今、障害者の方の日常のご不自由さを教えて頂き、自分事として把握しおもいを寄せたいと思いました。良い番組でした。

貧乏ゆすり

何とも気になる貧乏ゆすり!

傍にいる方がこれされると‥超気になりますよね!?
この貧乏ゆすりのルーツは江戸時代からとか・・。

先日、この貧乏ゆすりが=ウォーキングと同じ効果!?と言ってました。

すぐやる課(昔、松戸市役所にありましたっけ)の私、やってみたけど膝がガクガクしていくら健康に良いと言われても、これではやれません(笑)。

もう何年前でしたか?美容家のメイ牛山さん(当時結構なご年齢)、湯船にいっぱいお湯ためて、バシャバシャ足踏みしてるので足が衰えない・・と聞いて挑戦したら、家族からうるさい!と言われ、自分はぐったり・・でした。

まぁもしも健康効果があるとしても、TPOわきまえてなさらないと、「変な人」になりかねませんのでお気をつけて・・。

ひらり一言より

「国」として出来なくても、「人」として出来ることがある。

                  建前上は出来ないことも、本音で求め実行する行動が流れを変える                     こともある。

                 国を動かすのは人の行動であることを忘れないで・・と       
                           加藤登紀子さん

和光市は・・

何でも、和光市は、東京より時間が、わずかに速く!流れるそうです!
エ~ッ!?

東京と言うのはこの場合、文京区と言ってましたが、ちょこッと見た番組の一コマですから、ちゃんと調べないと・・です。

何でも光格子時計?とか言ってました・・。

そうすると、和光市の住民は早く年取るのかなぁ~なんて・・。何億年レベルの話だそうですが・・。なんだか不思議な番組のつまみ食いでした。

リサイクルし易い容器にする!

ビックリしました。
業界のライバル同士が、一緒に事を起こすというのですから・・!

花王とライオンが、タグ組むお話しです。

SDGs
資源問題の昨今、パッケージとかを集めて再利用し循環する仕組みづくりに、協力関係を結ぶという話です。すばらしい発想ですね!詰め替えパッケージを回収するなど、ゴミを資源に!の活動のようです。困難を乗り越え、ライバル同士が「競合から協働へ!」素晴らしい発想です。

主に花王の澤田社長さんが主導と放送されましたが、ライオンも偉いものです。
社会システムをつくるところから、大きな枠組みにしないといけない→それにはライバル同志が一緒にやるのは自然な流れと、澤田社長。

ゴミを出さない事が大事と。

なので、集める容器そのものを再利用して循環すること。ゴミを資源に!の活動につなげたいとのことです。
「これまでのやり方の延長線上に、繁栄はない!」とまでおっしゃって気持ちいいくらい歯切れのいい会見でした。

そう言えば、随分前の話ですが、ドイツでしたか?毎日使う歯ブラシも、傷むのは先のブラシ部分だけだから、先っぽだけ取り換えるようなのがある!と聞いて日本のメーカーにどうですか?と何の根拠も示さず、生意気に提案したことがありました。思えば大量生産大量消費の時代。あっさり却下されたのを思い出します。

今では小学校でもSDGsを学び、声上げる若い人も出てきました。危機感持って、出来る事からやらないとならない時代ですね。自分の身の回りも考えれば問題ばかりです。何から始めてみましょうか?

ショパンコンクール反田さん・小林さん入賞!

最近時々NHKなどに出てらした、反田恭平さんが、ショパンコンクールで、二位に入賞!のニュースは51年ぶりとあって、日本中を駆け巡りました。

既に佐渡裕さんと協演したりしてらした反田さんなので、ビックリでしたが、ともかくスゴイ快挙です。何でも二位入賞は1970年の、内田光子さんがお取りになって以来だとか!

まだまだ27歳の青年ですのに、悪友たちは「老けてない?」などと言ったりして・・。彼が未だピアノの勉強続けながら、オーケストラを運営したり、音楽家のマネージメントも手がけるなど、行動的でエネルギッシュな青年だからでしょう

4位の小林さんとは、幼馴染で一緒に勉強してきたのだとか・・。ステキですねお互いに。小林さんのショパンは、小林さんの深い集中で濃密な世界へと誘うものでした。

反田さんは、コロナで困窮するアーティストにオンライン演奏会をプロデュースしてきたと聞きます。コロナが落ち着いて日本で凱旋コンサートが開かれる時には、是非に足運んで生の演奏を聴きたいものです。チケット取るのは至難の業でしょうが・・。

また応援したい音楽家が出来ました。嬉しいことですし、大きな楽しみが増えました。BRAVO!

協調と同調

ノーベル物理学賞受賞の真鍋淑郎さん90歳!
ビックリするほどお若くて、「最もおもしろいのは、好奇心に基づいた研究だ。私は気候変動の研究を本当に楽しいと思ってやってきた」と語る姿もまた実に若々しい!

今この真鍋さんの、日本への思いに注目が集まっています・・。取材を受けて日本へのメッセージを問われると、顔をしかめて「う~ん、非常に難しい問題でね」と言葉を濁したと、記事にはあります。

「(専門家から)政治に対するアドバイスのシステムが、日本は難しい問題が一杯あると思う」

「米国の科学アカデミーは、日本よりもはるかにいろんな意見が学者から上がっている。日本よりそういう意味でも、はるかにいい。だから、まあ、そういうところ、考える必要があるんじゃないですか・・」と。

97年に真鍋さんは約40年ぶりに日本に戻り、科学技術庁の地球温暖化予測研究領域長のポストに就いたが、2001年の秋辞任し「温暖化研究の第一人者失う」と新聞に報じられたそうです。会見では国籍を米国に変えた理由も聞かれ、
「日本で人々は常に、お互いの心を煩わせまいと気にかけています。とても調和のとれた関係性です。日本人がイエスと言っても、それは必ずしもイエスを意味せず、ノーかもしれません」

「なぜなら、誰かの感情を傷つけたくないからです。アメリカではやりたいことができる。他人がどう感じているか、それほど気にしなくていい」
「私は調和の中で生きることができません。それが日本に帰りたくない理由の一つなんです」と会場が笑いに包まれた・・と記事にはあります。

日本では敷かれたレールを生きるのはうまいが。そこから出るのはなかなかできないとも仰った・・と。

日本で言う協調は、イコール同調だとも。

協調と言うのは、自分はどう考えるかをしっかり持って、人と意見を交換して「あなたはどう考える?」と協調していくことだと。

同調は、個人的な意見は殺して多数者の意見にそうことだと。
なので、突出する人は、自分の視点で見た時に、不自由だなぁ~と感じるんですよ・・ともおっしゃたそうです。

他の番組でこの議論に参加した若い女性、現在アメリカ在住の方、きれいな赤い髪の毛で登場しました。「目立つだろうなぁ~とアメリカに乗り込んだが、もっと上手が居て!どうってことないわ!」と個性を伸ばそうと思った・・と。

若々しい90歳の物理学賞受賞の真鍋先生は、まだまだ好奇心いっぱいと仰るだけでなく、のびのび研究できる環境に居られているからこその、ステキな若々しさだと感じ入りました。心とからだは一体ですから、このようなお考えで毎日過ごされていることは、何より素晴らしいと感銘を受けました。
日本の外に出られて客観的にお感じになる日本の社会の閉塞性、言葉にしてダイレクトに仰られ、大いなる問題提起と受け止めました。

「帰りたくない 調和の中で生きられないから」と90歳に言わしめる日本と言う国。どうしたら変われるのでしょうか・・?

協調と同調。
若々しい物理学者90歳の、貴重な問題提起と思います。

 

孤立

たまたま見たテレビで、「孤立が健康被害!」とやっていました。

この孤立、タバコを一日15本吸うリスクと同じだとか・・!(今一わかりにくい・・)孤立が健康被害と密着しているということでしょうが・・。

何でも、地域医療サポーターの会の先生が、訴えていらっしゃる番組でした。街づくりに熱心なドクター・ナース・社会福祉士・ケアマネの方々が活動されてるようです。すばらしい活動ですね。

病気だけでなく、趣味・生活全般にわたる交流拠点をつくること
普段持っている交流を繋げて、気づくチャンスを増やすことだそうです。

このようなつながりの輪は、声がけから始められると仰っておられました。

高齢に伴って、大切なのは「薬」じゃなく(薬が大事な方もあるでしょうが)
「つながり」と。

イギリスでも、孤立が健康被害という発表がされた!とのことでした。

確かに、つまらないと思われるような会話や、雑談がないと一日口をきかないで済んでしまう方も、居られるのではないでしょうか?

先ずは、ご挨拶をしましょう。
  「おはようございます」

  「いいお天気ですね」

  「寒くなりましたね」

そう言えば、ご近所のお子さんも照れくさいのか、ご挨拶しない時もありましたが、こちらから「おはよう!」「行ってらっしゃい」と声かけるうち、自然と「こんにちは」となってきました。照れながらですけれど、嬉しいものですね。

血中酸素測定発明 米学会が栄誉賞

9月15日のブログに掲載した、パルスオキシメーター発明の、日本光電の技術者、故・青柳卓雄さんに、米国麻酔学会の栄誉賞が贈られたそうです。麻酔科学の分野で国際的に卓越した貢献をした人が対象で、日本人が受賞するのは初めてだそうです。

パルスオキシメーターは胃カメラと並ぶ日本発の医療技術の代表で、1974年に、青柳さんが原理を発明。心臓病や肺の病気などで救命率の向上に貢献し、世界中の医療現場で使われるようになりました。今般の新型コロナウイルスの感染拡大でも、患者さんの重症化を把握したり、治療方針を決めたりするのに欠かせない役割を果たし、家庭にも普及しています。

根っこ

時々、ここにもご紹介する、ひらり一言。 今日はこの一言が目に留まりました

    「花は風に吹かれてゆらゆらしてる。

     でも根を張ってるから倒れない。」

 

そう言えば、郷里出身の相田みつをさんも

      花を支える枝
      枝を支える幹
      幹を支える根
      根はみえねんだなあ   

近くにあっても遠くにあっても、大きな問題は絶対に大きい

一年も前の記事で恐縮ですが、やはりつくづくそうよね!と思ってしまいます。書いたのは浜矩子さんです。(記事は2020.3・2)

目の前に小さな牛さんのフィギュアがある。窓の外には本物の牛さんがいる。かなり遠くにいる。だから、大きさはフィギュアの牛さんとほぼ同じに見える。だが実は大きい。ただ遠いだけである。

小さいと遠い。この違いをフィギュアで遊んでいる幼子ちゃんに分かってもらうのは難しい。遠くて小さく見えてるから。別段、脅威を感じない。そんな存在が、実は大いなる危険物だということはあり得る。遠くてウロウロしている肉食恐竜からは、小さく見えてるうちに逃げるに限る。本当の大きさがわかるところまで近付いてきたら、万事休すだ。

新型肺炎も、遠い武漢の問題だった間は、小さなことに見えていた面がある。だが、接近してくる間に、みるみる大きな脅威と化してきた。

実は小さな問題が、近いから大きくみえることもある。某女優さんが薬物の常習犯だったということが判明した。本人にとってはともかく、世の中的には、さほどの大事件ではない。だが、近いから騒ぎが大きくなる。某政治家がいくメン宣言で点数稼ぎをする。それがどうした。だが、これが大型サイズの扱いを受ける。少しカメラを引けば、あまりにも小さい。

近くて大きな問題を矮小化しようとする人々もいる。例の「桜をみる・・」である。いつまでその追及に固執するのか、もっと遠くに目を向けて、彼方の大事に焦点をあてないか、当事者達はそんな風に言う。だが、この問題を小さなフィギュア扱いにすることは許されない。そこには、民主主義を理解出来ず、それを軽んじ、やりたい放題を貫徹しようとする政治の巨大な愚かさが横たわっている。その大きさを見損じてはならない。

小さいことと遠いこと。大きいことと近いこと。近くて小さいものと、近くて大きいもの。遠くて小さいものと、遠くて大きいもの。幼子ちゃんも、育つにつれて、これらの識別がつくようになる。
この識別に狂いがないことが、大人の証だ。我々は常に大人でなければならない。

一年も前のこの記事。なぜか気になります・・。

茶箱?

たばこの自動販売機のようなところで、子供が何やら買っているのをテレビで見ました。狭山茶と・・!? 水に入れる? うん?

翌日の新聞埼玉版にも記事が!

何でも喫煙者の減少で、廃業が進んだたばこの自動販売機を活用し、西武鉄道所沢駅と本川越駅構内に、今月から、タバコのパッケージを模した(禁煙支援して居る私としては少し不満・・)狭山茶の関連商品を扱う自動販売機のようです。

狭山茶の粉末スティック8本入りの商品「chabaco(ちゃばこ)」で税込600円。自販機やパッケージには茶畑、時の鐘がデザインされているとか。

国内のタバコ自販機は、ピーク時の2002年の63万台から19年は13万台に激減しており、廃棄が進む自販機の活用と言うことで、西部HDが着目したそうで、傘下の伊豆箱根鉄道(静岡県)の3駅では昨年12月から、静岡茶の商品が販売されているそうです。

そう言えば、随分前ですが、予防の勉強会で酒田に行った帰り、庄内空港の売店で、ペットボトルのお水を買ったら、粉末の日本茶がついてきて、ペットボトルに入れて振るとたちまち美しい色の冷茶になり、フレッシュで美味しかった覚えがあります。

たばこのパッケージを模した・・はなんだかなぁ~ですが、その場で粉末でもお茶の香りが楽しめるならば、いいアイディアかもしれません。

今は、家庭でも、お急須で日本茶を入れる家が少なくなったと聞きます。小学校で、子供たちの中にはお急須を知らず、直火に(ガスコンロに)かけた!との話も耳にしました。時代は変わりましたね。

ペットボトルのお茶も便利ですが、たまに家でゆっくりお急須を温め、丁寧に日本茶入れるとホッと致します。とても美味しいですし、その香りと色にうっとり致します。コーヒーでもお紅茶でもない、日本茶・お煎茶にはその魅力が溢れていますね。

今回の自動販売機でも、子供たちに日本茶の美味しさが伝わればいいですね。

あ~飲みたくなりました。日本茶。

加藤登紀子のひらり一言より

   自分で悩み

   自分で考え

   自分で超える

      何事も他人任せにしないこと
      誰かを助ける時も、
      代わりに考え決めてあげるのではなく出来るだけ自分力をサポート                  

 

ことば

  難しい状況でも

  そこで幸せを見つける方法を

  考えることはできると思う

  そして周りに

  支えてくれる、愛すべき人がほんの数人でもいれば

  人生は生きるに値すると思う

                                       ある作家さんのことばより・・・

 

パルスオキシメーター

今、このコロナ禍にあって、脚光を浴びているのが一見、大きめの洗濯ばさみのような、人差し指の先端を挟むと直ぐ血中酸素飽和度が表示されるパルスオキシメータ。

原理を考えたのが、日本の青柳卓雄さんという新潟生まれの技術者で、発明家になる夢を抱き、大学で工学を修めた方だそうです。島津製作所を経て、1971年に日本光電工業に入り、「ユニークなものを開発せよ」と上司に言われ、麻酔科医との会話がきっかけで、動脈血の酸素濃度を簡単に測れる装置の開発に打ち込まれたそうです。

当時は採血しなければ酸素レベルは読めず、患者の顔色で判断していた。青柳さんは拍動を利用し、動脈血だけの信号を取り出すことに成功し、連続測定を可能にしたそうです。大発見であったものの、紆余曲折あった後に、有用性が理解され、企業が相次いで製品化し、各国に広まり多くの命を救うことに貢献しました。

全国で10万人超が自宅療養と言う名の「自助」を強いられる時代。パルスオキシメーターは私達の命綱となっています。
原理を考えたのは日本の技術者と知り、もっと再評価されるべき発明と、天声人語は伝えていました。

コロナ終息を願い、自分の命を守ることは、他人の命も守ること。感染予防、出来ることはきっちりやろうと思います。

 

加藤登紀子の ひらり一言より

 

  命はただそこにあるだけで偉大です。

    素晴らしいとか、美しいとか、形容詞はいりません。
    何の装飾も、自己アピールもない、無垢な輝きを大切に!

ことば

このところ、国を動かす人々の、「ことば」が問われています。

自分のことばでしゃべらないから、我々の心に届かない!
目もうつろに、力のないことばを聞くたび、ため息が出ます。おかげで「うそ(上辺だけのことば)」を見抜く力はつきました・・。

そんな時、ニュージーランドの女性首相の、力強い言葉を耳にしました。その心は「人は理解すれば、行動できる」です。

明確でシンプルな主張は、心を動かします。

おっしゃる方が、「なぜ?」「・・解決にはどうするか!」をご自身でわかっているから、その言葉に重みと力があります。

この国を引っ張る方々から、ご自分のことばで、ご自分の考えをもっときっぱり、お話しいただきたいと思います。
明確でシンプルに仰って下されば、我々は理解でき行動できます。

「ことば」は大切です。

「何で勉強しないといけないの?」

子供からそう聞かれて困った人もいるのではないでしょうか?
瀬戸内寂聴さんのお話しです。寂聴さんは人を愛するため、想像力を養うためにも勉強は大切だと語ります。

心を直さぬ学問して何の詮かある   頴尊上人

そもそも学問は何のためにするのか・・。
以下寂聴さんは言います・・

私の考えを先に言いますと、どんなにつまらなくても小中学校で履修する科目は、しっかり勉強した方がいい。国語、算数などの入試科目だけでなく、音楽も美術も体育もそうです。
「勉強しないと、心が栄養失調になる」からですと。

勉強は食事と同じです。私達人間が健康でいるためには。いろいろな栄養を取る必要があります。美味しいからとイチゴやアイスクリームばかり食べていたら、栄養失調で病気になります。肉や魚、ほうれん草やニンジン・・。いろんな食材で栄養を平均的に取ることで健康になり、立派に成長します。
それと同じように、心もいろいろな栄養を取らないと、心の栄養失調になります。子供の頃は自分は何が好きなのかわかっていませんが、学校で教えてくれることはすべて栄養だと思ってください。

では、人間が心の栄養失調になるとどうなると思いますか?
想像力が乏しくなります。
想像力がないと、自分の将来の夢を思い浮かべられない。夢の為に頑張る気持ちも湧いてこない。何をしたら友達が喜ぶのか、逆に傷つくのかもわからない。
想像力=愛ですから、人を愛することも出来ません・・と。

想像力がないと、善悪正邪の判断がつきませんから、よいこと、正しいことのために闘うことも出来ません。さらに悲しいことには、自分が幸せなのか不幸なのかさえ、判断がつかなくなるのです。

ろくに勉強をしないで心の栄養失調のまま大きくなった人は、自分が心の栄養失調であることに気づく事すらできないのだと。

仏教では、今から約2600年前のお釈迦様の時代からずっと、人間に知恵を持てと教え続けているのだそうです。最初に掲げた叡尊上人の言葉も、現代風に言うなら「知識ばかり丸暗記する学問が何の役に立つのか?それよりも心を正しくするために、心の栄養となる勉強をしなさい」そう呼んではどうだろうか・・かと。

コロナ禍自粛でもう一年以上、若いお母さん方から”少しは勉強しなさい”と叱ると、”何で勉強ししなくちゃならないの?”と居直ったような口答えをされて困ってるという相談の手紙が、寂聴さんに多いそうです。
親の思いをよそに、子供達にはゲームに漫画、スマホ・・今は限りなく面白いものがあるのです。「寂聴さんが”子供のうちにしっかり勉強して、心の栄養をたっぷり取っておきなさい”と言ってるよ」と話してあげて下さいと。

はたして子供たちが心の栄養わかってくれるかどうか・・。でも世界中には勉強したくとも学校さえ、教科書さえ手に出来ない子供もいます。スポンジのように吸い上げてくれる子供たちに、勉強もまた楽しい!と伝わるようにしないといけませんね。それに私達大人が先ずは想像力豊かで寛容で魅力的な大人でありたいと、つくづく思ったことでした。

そう言えば先日、日頃介護の仕事で忙しい方が、本を読みたいのですがなかなか本を読む時間が無くて、子供が寝てから本は読むことにしています・・でもなかなか時間取れなくてとおっしゃいました。又子供もなかなか本を読まないんですよ・・とも。そこで私、つい「お母さんが先に、子供の前で本を読まれたらどうですか?「今日はお母さん、どうしてもこの本読みたいの・・」と。そうしたらその方「子供が寝てから・・とばかり思ってました。そうですね、私が本を読んだら、一緒に子供達も読むかもですね・・」と。素直に仰る方を応援したくなりました。

 

簡単もやし料理あれこれ・・

主婦の味方 「も・や・し」

先日テレビでみた、もやし料理は簡単そのものでした!

①もやしのお好み焼き風
  お皿に、洗ったもやしと豚バラ肉に軽く溶いた卵をかけ
  ラップをして4分チンします
  お好み焼きソース・マヨネーズ・鰹節をお好みでかけます
  お醤油とポン酢でもOKとのこと

②もやしのナムル風
  もやしをチンして、お茶漬けの素とごま油をかけ、サクッと混ぜ
  る、水分が出てくるので、なるべく早めに食べる

③もやしの天ぷら
  もやしに、青のりを加えたてんぷら粉をまぶし、フライパンに
  2センチほどの揚げ油を入れて揚げ焼きする

簡単ですぐ作ってみたくなりますね。いかがでしょうか?

いわしや

皆さまはご存知でしょうか?
文京区本郷に「いわしや」と言うお店があるのを。

魚屋さんではなく、医療器具販売店の老舗です。創業は1914年で、屋号の「いわしや」は、19世紀に建った赤門より100年以上歴史があるそうです。

名前の由来は、江戸初期に大阪の網元が江戸に来て、この屋号で薬種問屋を始めたのが由来だとか。西洋医学の時代になって、医療機器店に転じ、のれん分けで全国に広まったそうです。

50年代には「いわしや」を冠した店が80軒以上ありましたが「代替わりの度に消えていきました」。
魚屋と間違えられる、と後継ぎが嫌うらしいです。

現存するいわしやの、小売する店内にはメスやピンセットなどが並び、まるで昭和の診察室。顎帯鏡は鼻やのどの奥をのぞき込む道具。聴診器と共に医師のトレードマークだったが「今はペンライトを使う人が増えた」。
場所がら、忘れ物した医学生が駆け込んでくることもあるそうです。昨今では若い女性が、アクセサリーの収納用に、シャーレや薬瓶を買っていくそうですよ。不思議な空間地下鉄本郷3丁目を出てすぐの所にもある「いわしや」さん、覗いてみませんか?

こぼれ話:随分前になりますが、日本医大で「癒しの環境研究会」という、病院を取り巻く環境を考えましょう!と、当時の医療管理学教室岩崎教授・高柳助教授の呼びかけで立ち上がった会に初回から参加しました。ある年の年末でしたか?蔵前のちゃんこ屋さんで懇親会。お店の入り口に今日の宴会の案内板がだされており、そこには
「いわしの環境研究会」と!ご一緒された柳田邦男さんが、「笑っちゃいますね。最高!」と盛り上げて下さったのを昨日の様に思い出しました。
当時「いやし(癒し)」と言う言葉はあまり聞かれず、ひょっとしてこの会がきっかけになり「病院の癒し」と言うことに注目が集まった・・と記憶しており画期的な会でした。いわしやさん続きで思い出しました。