マニュアルが奪うもの

最近気になっていることがあります。

例えばコンビニで、床掃除をしていようが在庫の整理をしていようが、誰かが「いらっし

ゃいませ」と言った途端に、お客様を見もせず同じように「こんにちは、いらっしゃいま

せ」と合唱することです。マニュアルなんでしょうが、顔も見ず、入店する人がどんな人

かも見ず、心を配るジャッジを一切無視して,口パクのある意味とても機械的でラクな接

客法です。それをおかしいと感じるか?ヤレと言われたからと割り切るか、きっと一人ひ

とりの判断は違うと思いますが、何より大切なのは自分はどう感じているかを手探りする

ことだと思います。仕事が容易に見つかる時代ではないけれど、もう次がないからマニュ

アル位気にせず頑張るという人もいれば、息苦しいから他を探そうという人もいるでしょ

う。大切なのは「自分はいったい何を幸せと考えるんだろう」ということだと思うのです

そんなに簡単に結論出るものでないし、それでは生活できないという向きもあるでしょ

う。でも少なくともどちらが自分にとってベターかということではなく、どっちが「悪く

はないな」と思えるかだと思うのです。やりたいことがすぐ決められる人は、四の五の

言わないですぐに始めればいいですが、どうしても自分の気持ちがよくわからない、仕

事も何がやりたいのか見えてこないならば、小さな問いかけを自分にしていくことではな

いでしょうか?お腹が空いたということでなく、時間が来たから器械的に何か口にする・・

というな毎日だと本当に食べたいものなんてわからなくなります。食事をおろそかにした

り、思うように食べられていなかったりすると、「これっ食べたい」と思うものが出てく

る・・。仕事も同じです。離れて、飢えの状態で「どうなの、私?」と感じて下さい。

ジャッジの要らない対応ばかりしていると、あなたが幸せと思っていることが遠のいて

行くような気がするのです。マニュアルはあくまでもマニュアル。私達は機械ではないの

です。自分の感覚に自信をもって進んで行ければと思います。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です