①より続く(犬養道子氏・日野原重明氏 以下敬称略)
日野原・日本においては特にそうですよ。これは医学の専門家が一般の人々や患者に情報を提供しないから批評が出来ないんです。ところが、芸術は聴いた人や見た人のアートの批判力が育つような雰囲気が出来てきたわけです。だから、私はいまの日本にもう一度医術を、すなわち医の臨床のアートが一般の人から批判を受けて、そのことで医術を進歩させたいのです。
さて、医の臨床の術には、その基礎にハイサイエンスとハイテクノロジーの科学が必要です。そこで病む人間にサイエンスとテクノロジーをどうタッチさせるかという技がアートなんですよ。ところが、いまは、タッチをしないで、サイエンスとテクノロジーをとにかく患者に与えればよいとなっている。誰にでも同じことを無差別に与えるような乱暴なことをして、受ける人がどんなフィーリングを持つかということを考えない。うけ手の事情を考えないで、ただただ与える。
犬養・いま、先生はタッチと言う言葉をお使いになったけれど、もっと単純な日本語で言うと「手当」ですよね。
日野原・はい。そう。
犬養・そして、手当てをするときには、相手がやけどをしている人とやけどをしてない人では、手の当て方が違う。
日野原・そうです。
犬養・だから、非常に素朴な次元においても、日本にはさっきおっしゃったような考えはあったわけです。ところが、いまは「手当て」ではなくなってきているのではないかしら。
日野原・日本で「看護」という言葉の前にあったのは、「介抱」という言葉です。
犬養・そうそう。
日野原・まず「介抱する」という言葉があるんです。その介抱と手当てをどう英語に訳すかと言うと「ケア」なんです。看護婦さんがやる場合には、ナーシングケア、医者がやる場合にはメディカル・ケア。この「ケア」という言葉はまさに「テイク・グッド・ケア・オブ・ユア・セルフ」。あなた自身があなたの体をコントロールして、健康になって下さいと言うことなんです。そのケアという言葉は1920年頃から医療界に出てきました。
それまではそういう言葉はなかったのを、ピボディと言うボストンのハーバードの医学校の教授が、医療で大切なことは患者へのケアだということを「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」という医学雑誌に論文書いたんです。それが最初。
ナースの方はそれからさらに遅れて、ナーシング・ケアという言葉が使われ始めた。日本では看護と言うと、看護大学の先生たちは、看護学と言ってくれと言うんですが(笑)、看護と言うのは、ケアそのものでしょう。
犬養・その通りです。「学」では困るんです。(③に続く)