若い方はご存じないでしょが、昔「みゆき族」と言うのがありました。アイビールックやロングスカートに大きな紙袋を抱えて歩く風俗でみゆき族と呼ばれました。石津謙介のVANが流行ったころです。皇居の傍の日比谷公園の東から、銀座の中心部を通って、築地市場の手前までを結ぶ「みゆき通り」が舞台でした。
この名前、戦争で幻となった40年の東京五輪招致が決まった36年前後に画家の藤田嗣治、詩人の西城八十らフランス帰りの文化人らが街頭や通りの整備を推奨し、東京を世界に通用する美しい街へ、名前も世界に通用するものへと呼びかけたようです。
選考の末、明治天皇が式典に臨席される際に行幸路とされた由緒を祈念するため、「みゆき」=「御幸」→行くことを敬って言う語。天皇の外出。と言うことで謹んで命名されたようです。
銀座・みゆき通りはゆかりの人々の熱意から生まれ、意味や時代を超えて地元に愛され今に至っているようです。
皆さまもみゆき通りにいらしたら、そんなことを思い出されて散策ください。もうすぐ春になりますね。