桜と菜の花

三月半ば過ぎ、突然の雪のあと急に暖かくなり、25日過ぎから桜が咲き始めました.。プツプツ咲き始めたと思ったら思いがけない暑さに、一気に咲く勢い!でも気温差あるので、お花が長持ちするかもしれません
私たち日本人にとっては富士山と桜は別格ですね

昨年の話ですが、近所の古木の桜が満開に近くなったある日、たまたま通りがかり「随分な大木になったなぁ」と少し離れたところから見ていたら、桜の木の下でこちらに手を振っているご年配の奥様が。「どなたかなぁ、存じ上げないなぁ」と何気に近づくと車いすにご主人様かな?うとうとしておいででした

「あ~よかった!あなたがお召しの黄色いセーターが菜の花に見えて、やっぱり桜と菜の花よね」と思ったの・・と思いがけない言葉。その方の田舎では桜と菜の花はセットなんですと仰られました。初めてお会いする方でした・・
車いすのおじいちゃまはずっとうとうとしてらして、この会話も聞かれたかどうか?なんだかまったりした時間が流れました

たまたま着ていた山吹色のセーターが、このようなやり取りになるとは!思っても見ませんでした。ほっこりまったりの時間でした。「こちらこそいいお話伺えて嬉しいことでした・・」とご挨拶してその場を離れました。相変わらず車いすのおじいちゃまは、うとうとしてらして会話をお聞きになったかどうか・・?でも、聞こえたに違いないと歩を進めると後ろから、「またね」とその奥様が手を振られていて恐縮しました

めったに色物を着ない私が山吹色のセーター着た日の、思いがけないご縁に、なんだか桜は笑ってるようでした。

今年も到来した春を超えた暖かさと満開の桜に、あのご夫妻は如何してらっしゃるかしら・・「桜と菜の花はセットなの」とおっしゃた穏やかなご夫妻を思い出し案じたことでした。桜って不思議なお花ですね。皆なにがしかエピソードがあるような気が致します

小さな子供たちが、桜咲く中を走り抜けていきました

地域ケアの新しい試み・生老病死を支える 方波見康雄著

ちっとも進まない断捨離中です。古い資料に加えたくさんの本を見つけては、パラパラ、ページめくっているからちっとも進まず、断捨離ハウツー本に書いてある通りの有様です・・💦

方波見康雄さんの「生老病死を支える」-地域医療の新しい試みー2006年版に目が留まりました。第6章・老いを生きるということ 最後の成熟に向けて・・から少しご紹介いたします

・そろそろ惜別の人生を覚えなければならない年齢になっている。過ぎ去った日々の記憶を、ただの追憶に終わらせてはならない。心臓手術によって、危うきところで死を免れたいま、「ぼくが、まだ若かったころ」の暗中模索の人生のあゆみの経験を、これからの新たな蘇りのよすがにと、ひたすら思っている。
セネカは指摘するー「生は短く術は長し」とヒポクラテスは言うが誤りである。われわれは短い人生を受けてるのではなく、我々がそれを短くしているのである。人生は使い方を知れば長い(「人生の短さについて」茂手木元蔵、岩波文庫)。後期高齢者と言えどもなお、人生に成熟と余熱のゆとりがあるということである。再び茨木のり子の詩を引用して、どこにでもある、だれにでもある、このささやかな物語をおえることにする。

ー自分の感受性くらいー

ぱさぱさに乾いてゆく心を
人のせいにするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ  (茨木のり子「自分の感受性くらい」花神社)

馬場あきこさんの選者退任を惜しむ歌

馬場さんに選ばれるのが夢だった死ぬまで歌は詠むだろうけれど
                             (大田市)安立聖さん    永田和宏選

※小さなコラム・佐藤ママの「きらりヒント」にも、以下「言葉を研ぐ」感覚身につけて・・として載っておりました

朝日歌壇選者の馬場あき子さんが退任されるとの記事が載っていました。短歌の提携である五七五七七という様式は、「言葉を研ぐ砥石」と馬場さんはお話しされています。定型の様式の中で「言葉を研いでいくうちに、こういうことを私は言いたかったんだという深い思いが歌の奥から出てきます」と説明され、そのために何度も句のつながりを考えるとのことでした。最近の家庭では砥石そのものが珍しくなりましたが、記事の中に見つけた「言葉を研ぐ」という表現にしばし見とれてしましました

昨今、思ったことをそのまま書き込んで世間にばらまく、ということが日常茶飯事です。ネットをみると、発言の自由という名のもとに他人を傷つける言葉があふれています。じっとしているだけで、目や耳に飛び込んでくる多くの言葉たち、何の悪気もなく放った言葉でも、受け取る人は傷ついて血を流すこともあります。心の傷が癒えない場合もあり、言葉は非常に危険なものともいえるのです

またその反面、かけられたほんのちょっとした言葉が、心を温かくし、人の人生を最後まで支えることもあります。人は一言の言葉を握りしめて一生元気に生きていくことが出来る生き物なのです。さまざまな立場の人の気持ちが理解できるようになり、とっさの場合でも言葉を選ぶことが出来るような鋭い感覚を、沢山の文章を読んで身につけて欲しいと思います(佐藤ママこと、佐藤亮子さん)

※2024年9月11日このブログにも、馬場あき子さん選の三句、素敵なので掲載差せていただいております

慣れたら難易度を上げましょう!懲りずに早口言葉

もうこりごりの皆様
しつこく早口言葉ですよ
定番だけど難しい早口言葉8選です🌸

レベル1
・この釘は引き抜きにくい釘だ

・瓜売りが瓜売りに来て
 瓜売り残し売り売り帰る

・裏庭には二羽 庭には二羽 にわとりがいる

・桜咲く 桜の山の桜花 咲く桜あり 散る桜あり

レベル2
・お綾や母親に お謝りなさい

・この竹垣に 竹立てかけたのは 竹立てかけたかったから 竹立てかけた

・親亀 子亀 孫亀
 親鴨 子鴨 孫鴨

・客が柿食や 飛脚が柿食う
 飛脚が柿食や 客が柿食う

フーッ!お疲れさまでした、しんどいですねぇ~
初めはゆっくりでいいので、口をおおきく開け、お腹からしっかりと声を出すことを意識し、徐々にスピードを上げていかれるといいようです・・と言われますが。先ずはご自分のペースで、お休みしながらでもいいので、続けてみて下さい

やらないよりやった方が、結局はお得です、と言うのは簡単、フーッ!

折々のことば 3344

共感のやり取りでは批評という言論が育たないし、磨かれていかないですね。
                         川野里子

今の人は、他人と密着するようなコミュニケーションツールに馴染みすぎ、批評すれば傷つくんじゃないかとびくびくしていると、歌人は言う。だが、批評は攻撃でも共感でもない。互いに練磨しあう過程を回避して、小さな共感の「島宇宙」に閉じこもるのは危ういと。”納富信留との対話「哲学と詩歌の怪しい関係?」(川野の対話集”短歌って何?と訊いてみた”所有)から

感じることを閉じずに

照らす月の写真と、たくさんのお魚が青い海に泳ぐ写真とともに、「光のたまごたち」と言う写真家・石井麻木さんのコラムに吸い込まれました、ご紹介します

この方は、子供だった時に起きた阪神・淡路大震災が脳裏に焼き付いているのが大きいと。30年という長い年月をかけて、神戸の街が、その街で暮らす人々が教えてくれたもの。懸命に伝え繋いてきてくれたものを、止めたくないと書かれています

能登に向かい、能登の人たちがいま必要としているもの、困っていることを伺う。能登を訪ねるたびに、この13年間の東北の人たちの涙やもらった温かい気持ち、子供たちの笑い声、毎月待っててくれる笑顔も心の中に連れて行く
小さかったあの子は先日東北で成人式を迎えた。戻れない故郷、解体されてしまった実家は戻れなくても記憶の中で確かに生きていた

思い返すと中越地震も熊本地震も西日本豪雨も全国各地の地震や豪雨災害現場にも足を運んできたのは、現地に行かなければわからないことばかりだからだ
能登の水族館。空へと泳いでいってしまったサメやイルカ。避難して戻ってこれた生き物たち。生き残った魚たちは揺らぐ光の中を泳いでいた

被災された方、支援する方、境目はない。共に生きている。それぞれの生活があり。それぞれの守りたいものがそこにあるけれど、想うきもちは誰にも壊せない。照らす月は誰にも隠せない

灯りのなくなった街で見あげた、目が眩むほどの星空。眩い星たちはいつだって、見えなくてもそこにある
不在の存在も、無意識の意識も、永遠の今も、感じることを閉じずにいたい。小さくても繋いでいく

草食のウシはなぜ筋肉質なの?

★科学ページ・栃木県Fさん(90)からの質問
ののちゃんと、麻布台助教先生とのやりとりから抜粋

のの・牧場で牛の乳しぼりを体験した。間近で見たおっきな体、すごい迫力だった。で、思ったんだけど、ウシは草ばっかり食べてるでしょ。それなのに、なんであんなに筋肉もりもりなんだろう

先生・じゃあ、筋肉を作るのに欠かせない栄養成分は何かわかる?

のの・タンパク質!

先生・正解!牛の飼料となる牧草にはいくつか種類があって、タンパク質を多く含むマメ科のものも含まれている。なので、草食だからと言ってたんぱく質が取れてないわけではないよ。とは言え肉食動物のえさに比べたら少ないことは確か

のの・じゃあ、どうしているの?

先生・秘密はまず胃にあるの。ウシは胃を4つ持っていて、第1の胃の中には細菌や真菌と言った微生物が沢山すんでいる。ここで、肉食動物や私達ヒトでは利用できない栄養素を分解して、アミノ酸というたんぱく質の材料に変えてしまうんだよ。そしてそれを栄養源にして、微生物自体が大量に増えるの

のの・へええ

先生・この微生物は第4の胃に運ばれ、ここでドロドロに溶かされて、小腸でアミノ酸などとして吸収される。微生物がウシの筋肉を作る材料になるってわけ。「微生物たんぱく質」と呼ばれてるよ

のの・お肉を食べる代わりに微生物の力を借りて、筋肉の材料を自分のおなかの中でつくっちゃうんだ、ビックリ。

先生・まだあるよ。老廃物となったたんぱく質は、尿素という物質になって血液中を流れるんだけど、ヒトではやがて尿や便として捨てられてしまう。でもウシでは一部が「唾液」になって、タンパク質の材料として再利用されるんだよ。似たようなしくみはウマにもあるとされるけど、ウシよりも分かってにことが多いみたい

のの・人間とは全然違うんだね

先生・それがね、パプアニューギニアという国の高地に、サツマイモが主食で、たんぱく質をとる量は、他と比べてとても少ないのに、筋肉質のたくましい人たちがいるの。これまでの調査で、この地域の人たちの大腸には独特の腸内細菌が住んでいて、ふつうなら廃棄されるはずの成分をアミノ酸に作り替えるなどして、タンパク質を確保していると推測されているんだよ。

のの・おなかの微生物すごい!

先生・微生物の謎がもっとわかれば、健康にも役立ちそうだね。でもまずは、君たちは、お肉も野菜もバランスよく食べてね

パ・タ・カ・ラ

今回は特にパ・タ・カをお話ししたく、本来はパ・タ・カ・ラ、もう20年以上前から言われている、パタカラ体操です

皆さまご存知の、お口を動かす体操です。発表された時はなんだかなぁ~位でしたが、この数年高齢者施設でもやって下さるようになりました

私も、患者さんに提案する立場としてやっておりましたが、頻度はかなりいい加減でした、それがそれが、最近年齢と共に必需体操!になりました💦
やらないと始まらない。やれば口は動き、大きく開けられ、発音もハッキリできもちろん一番肝心な「飲み込み」も問題ありません

さらに「誤嚥」という言葉が、とても知られるようになりました、大きな災害で日をおかずに予期せぬ「誤嚥性肺炎」が悪さをしたとわかってからですね

さて、なぜ、パ・タ・カを特に申し上げたいか?というと動く箇所が、はっきり違うからです、特にこの三つ!

パは→唇の動き

タは→舌の前の方

カは→ ★舌の根 (実はこちらがとても重要です、衰えに気づきませんから・・)先ほどお話しした、「誤嚥」って喉のゴックンのところ「カ」の発音ですね!

なので、私はパ・タ・カ・ラ体操のついでに、「カ」をギャロップで発音したり、テンポを変えたり負荷もかけてやっています。パ・タ・ラに比べ「カ」の発音は本当に疲れますが、やらないでいると「できなくなるので!」お風呂での発語がお勧めですが、長風呂は危険ですから、のぼせないように、ほどほどに・・

危険と言えば、お風呂に入る前に「コップ一杯のお水を飲んでから!」もお伝えします。大事ですよ~!