オランウータン 薬草使い治療?

この見出し見て!興味深々、だって「森の賢人」オランウータンですから。自ら薬草を顔の傷に塗って治療する!?素通りは出来ません

ドイツのマックスプランク動物行動研究所などのチームがそんな様子を観察し、サイエンティフィック・リポーツに掲載されたそうです、「植物を使った積極的な治療を初めて体系的に記録した」と

今まで類人猿による自己治療として、薬草をのみこんで体内の寄生虫を抑えようとしたり、つぶした昆虫を傷に塗ったりすることは知られていても詳細は不明だったそうです

今回、スマトラ島北部に住む、スマトラオランウータンの雄「ラクス」40歳位が、2022年6月22日、顔の右側頬に目で見てわかるほどの傷が出来ていた。同25日、ラクスは植物の葉や茎を口に含み、噛んだ。その汁を指で顔の傷に塗り付けていたというものです。その植物はフィブラウレア属の一種で、鎮痛解熱作用で知られているそうで、その後、傷口は化膿することなく、30日にはふさがった

チームは、ラクスが植物の汁を、からだの他の部位ではなく、顔の傷だけを選んで塗っていたこと、行動が数回繰り替えされ、傷口がふさがるまでに植物の汁だけでなく、果肉もぬっていたこと、などから、治療のための意図的な行動だと推測したそうです

今回の成果についてチームは「人類と最も近い親戚の、セルフメディケーションの存在や、創傷治療の進化の起源について新たな洞察を与えてくれる」としています。我々人間も超高齢化社会に突入する中、セルフメディケーション言われて久しい昨今、少々違うかもですが、この記事は大いに興味を持って感嘆しながら読みました

追記・丁度興味ある記事があるので買った週刊誌に、脳研究者・池谷裕二先生の「全知全能」と言う連載があって、そこに「オランウータンは塗り薬を使う」とありビックリ致しました、それほど今回のニュースはスゴイことなんだと!
池谷先生によればアフリカでは駆虫薬として薬用植物を経口服用するチンパンジーは知られているが、野生生物による植物の塗り薬としての利用を発見したのは、今回が初めてであると.。このアカルクニンは、現地の人々は薬用植物として利用しているが、オランウータンも薬効成分が含まれていることを知っているのでしょうか?と

「薬」の語源には諸説あり「草」は有力な説の一つであるが、「奇すし(くすし)」とする説もあり、動物たちの「奇」跡的な行動が関係してるのかもしれません・・とロマンティックに結んでおられます
なんとも素敵なニュースですね

 

みなづき (水無月)

一昨年だったでしょうか?やはりこの水無月のことを書きました。出先で久しぶり「食べたいなぁ」と買って帰った三角のお菓子。台は外郎で氷をあらわし。上には小豆を散らしてあります。もっちもちで美味しいのです。この短期間だけ台がお抹茶もあり、台が白と黒糖のとお抹茶を買います

6月30日夏越しの祓いの神事にちなんで今なお京都の方は召し上がるそうな
その昔、冬の間に出来た氷を天然の氷室に枯草、雑木、藁などで覆い夏まで保存していた。夏の熱い盛りに氷を掘り出し宮中に運び、夏の健康の為氷のひとかけを食したという

ちなみに「水無月」は水のない時期ではなく、陰暦では水の月、田んぼに水を引く必要のある月。即ち「無」は「の」を意味する連帯助詞の「な」なのであるとの注釈付きです
今年は梅雨入りが遅れ、雨が少なくて心配されています、水の月「水無月」の意味が一層意味深く感じる今日この頃です

「ぶり」以外に読む余地も

海の傍で育った今年96になる母は、「ぶり」と言えばすぐ、「知ってる?ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリよ!その位覚えてるでしょ?」が口癖です・・参った!
ブリは魚へんに「師」と書くと丸覚えの私、この記事読んでビックリでした

何でも香川県のすし店で目にしたポスターに「鰤」と言う漢字の下に「はまち」と読み仮名が書いてあったというのです!エ~ッ!?
「鰤」は「ぶり」で「はまち」ではないはず・・

説明によると簡単には割り切れないようで、福島市の公設地方卸売市場協会のサイトでは、「現在では天然物をブリと呼び、養殖物をハマチと呼んで区別することが多い」と述べてあったそうな

元々西日本ではハマチ「鰤の若魚」の養殖が盛んで、それが東日本に多く出荷された結果、東では大きさを問わず、養殖物を「ハマチ」と呼ぶようになったんだと。大きさはブリでも、養殖ならば「ハマチ」したがって「鰤」を「ハマチ」と呼ぶ余地はあるんだという見解・・

また香川県では県内のハマチをブランド化しており、「ひけた鰤」と「鰤」の名をいれてるので、そう厳密に考えなくていいでしょう・・とB級言葉図鑑編纂者は言う。何やらややこしいけれど、まっ美味しければいいいとしましょうか?

通じない言葉

件名にはこう書きましたが、「若者に通じない言葉」と読んだものにはありました。俗にいう「含ませ言葉」と言うそうですが、結構私、今使っています・・
「含ませ言葉」とは、いやらしい言い方ですね、裏にもう一つの意味がある・・更にこういわれると、もっといやらしい・・でしょうか?

①「どうにも首が回らない」
②「たまたま耳に挟んだもので」
③「踏み台にする」
④味噌をつける
➄寝た子を起こす
⑥息がかかる
➆顔に泥を塗る
⑧枕を高くする
⑨油を売る
⑩釘を刺す
⑪峠を超す
⑫色をつける

果たして皆さんお使いになっておられますか?よく読むと私、独りよがりで随分使ってるかもです

ついでですが、「ロートル」と言う言葉ご存知ですよね?ご存じないですか?
この「ロートル」も、若い方に聞いたらと言うインタビューがあって、若い女性に聞いたら→「エッ何これ~、ローソンで、出前トル?」と言う答えもありました。こんな現実知らないと、こちらが慌てますねぇ~

これを書きながら、テレビつけてましたら、レポーターが「てみずばち」と言ってたので、「うん?」と画面見たら、手水鉢のことでした、神社などで口をすすぎ手を清める器です。私は「ちょうずばち」と思っておりましたから、読み方が変わったか!とびっくりしました、茶道では「つくばい」と言いますか・・・
「てみずばち」と言う読み方になっちゃったんだろうか・・と一瞬思いましたが
「ちょうずばち」でしょうね・・

身近にない日本語は、本当にむずかしい
だけれども、日本語はなんて美しんでしょう!とあらためて思います
大事に使っていきたいものですが・・・さて

コンビニ50年 現代短歌が映す

半世紀前の1974年5月、セブンイレブンが日本初となる本格的なフランチャイズのコンビニエンスストアを東京・豊洲にオープンさせたのだそうです
人々の暮らしに欠かせないものとなったコンビニが、社会を映す現代短歌でどのように読まれてきたのか、寄稿されていました

時代背景を持って数々ノミネートされていた中で、思わず笑ったのがこの二編です

・「お客さん」
 「いえ、渡辺です」
 「渡辺さん、お箸とスプーンお付けしますか」斎藤斎藤「渡辺の私」(04年)

・持ってません温めません付けません要りませんいえ泣いていません 
 西村曜「コンビニに生まれかわってしまっても」(18年)

コミュニケーションが重要視される時代にあって、描き方が対照的で面白い、抒情の対象が日常風景に移っていることが、コンビニが単なる消費の場ではなくなってきていることを物語って何より面白い・・と

最近は「袋どうしますか?」と間髪入れずに聞かれます・・

 

「聴く耳」があってこそ 山根基世さん

私も大好きな「病院ラジオ」
見逃すこともあるけれど、見ると本当に心に沁みる・・そして残る
あの心に沁みる声の山根さんが、「病院ラジオ」についてテレビ時評に書いてらしたので、そのままお伝えします

ボーッと見ていて途中で面白さに気づき、もう一度見ようと思っても放送していない。たった一回見ただけなのに心に深く残ってる番組がある。4月29日朝、NHKで放送した「病院ラジオ」

お笑いコンビ、サンドイッチマンの伊達みきお・富澤たけしの二人が、福岡の九州がんセンターに赴き、一日だけのラジオ局を開設する。そこで患者の皆さんから話を聞き、リクエスト曲をかけるというシンプルな番組。何が印象に残っているかというと、患者さんたちが語る「言葉の力」だ

働き盛りで血液のガンが見つかった30代の男性。受験直前、体調に異変が起こったという若い女性、等など。一度は死を覚悟し、生命について深く考え、テレビで語っても良いと腹を据えた人たちだからだろうか。素直な真実の言葉の力を感じた
又彼らのリクエストする曲が、語った内容とピタッと重なり、ああこの人の人生にはこの曲が必要だったのだと納得する。言葉と音楽にしみじみ胸打たれる、まさに「ラジオなテレビ番組」だった

日頃、考え抜いた言葉を連射して観客を爆笑させているサンドの2人は、この日はほとんど語らない。発するのは「みんなそう思うよね」と言ったような、失礼ながら月並みな言葉。彼らはインタビューする人とではなく、ただのトナリビトのように、ひたすら患者さんの言葉を聴いて、深くうけとめている

この「聴く耳」があってこそ、患者さんは心を開いて語ることができたのだろう。一瞬の表情から、どう聴いているのかまで伝わる。それがテレビの怖さでもあり、面白さでもある。  山根基世 アナウンサー